王様の耳は驢馬の耳 | 王様の耳はロバの耳

王様の耳はロバの耳

普段口には、しないで
済んでいることを
こっそりと、呟いて…

人は、誰もが
愚かしくも、
あまりにも、簡単に

与えられ具えていた、
徳や尊厳を自ら失くし
迷ってしまうことを
私が忘れぬ為に書く
普段は口にしないこと。


本を読んでいたら
「義侠心」という
言葉が出てきた。

義侠心」とは
いつも一人に
一人前ずつしかないモノで

勇気のように
人に分けることが出来ず

「義侠心」を生み出す
気概を有する者は
この世間には少ないと云う。

義侠」とは
強者を挫き、
弱者を助けるモノとも云う。

正義感」とは違うモノ。

ただ、どれもが
これらを有する者の
直ぐ、傍らに、在る者に

これらを有する者とは
比較にならない程の
信心、辛抱(信望)を
強いてゆく。

その信心、辛抱(信望)に
挫かれ、深傷を負った者は

これらを有する者の
傍に在るは試練の日々。

それこそ、その傍らに
在ろうとする者こそが、
信心、辛抱(信望)
忠実(マメ)に務めて

「正義感」をもって
己が、慈しみの心を育み
養い鍛錬し

他所のモノが
有しているモノを
欲することなく

道も分からぬ
アダルトチルドレンが
自らに科し強くような
試練の日々の繰り返し、

今、己のことを
振り返ることもない、
己の有するモノのことを
信じる努力を惜しまず、
積んでは

夢に現を抜かし
他所を羨み欲に溺れ
期待するような
己が邪念、己がエゴ
己が欲の
あさましさをも

己自ら制して
己が有するモノに
どこまでも、寄り添い
向き合って

自らの小さな両手に
くるまれた
己がこの世で有する宝物。

その迷い葛藤苦悩を
慮り続け

ドラマや映画を観るように
一喜一憂、共感し
心揺さぶられれては
己のエゴ、欲と向き合っては

手のひらの上の宝物が
今、抱えている
迷い、葛藤、苦悩と
等しき
迷い、葛藤、苦悩を
己が、己に与えては

人は、ソコで皆
誰がために
ソコを生きるモノか
自らを秤にかけてゆく。

その後の己が人生
全てを賭けて

この現実世界で
己が意志、想いの強さ
何を、この世に望むのか

自らを秤にかけては
同じ、この現実世界に
その身を置きながら

人は住まう世界を
違えてしまう。

己が他を求める程に
揺さぶられる
この世の己に気付けずに

度々に
己が身に心に
振り下ろされる鞭に

その身に心を
不意に突然、鋸で
裂かれる番が
己に回ってきては

人は、今の己の
本性、性根をさらけ出し

自らをソコにある
秤にかけてゆく

己が欲に、その瞳に心を
曇らすことなく
傍らに在る存在よりも
「義侠心」養って

他のために、生き
その他をも
何をも、この世で
自らが、欲することなく

日々是好日
今、ソコに他者見ては
他者の幸福そうな笑顔に
支えられ救われ歓んで

羨むことも
欲することも
憧れさえ抱かず

自らが、そう成りたいとも
思わずに

今、己が有するモノが
どのようなモノであろうとも
それに足り

今、自らの手のひらの上で
己の方を振り返らずに

「義侠心」携え
「正義感」もって
自らの業を罪を深める者を
眺め観て

己の身に心をこの今生で
斬り裂く者に

怨み、愛憎の念、育み
養うことなく、自ら制し

やがて、チクリと
過去の傷みが
思い出される程度に成り

今、ソコに在るモノから
受けぬダメージと
いつまでも、思い出される
過去の傷みに
過去の己の不徳を
知ってゆく。

手のひらの上で、
迷い葛藤苦悩する
ドラマや映画の主人公

いつしか人は皆
個々のドラマや映画の
ストーリー

その上辺に囚われず
どのようなドラマ
映画を観ようとも

画面やスクリーン
登場人物
主人公さえも
透過して

今、己がこの世のソコで
対峙する器に上辺に
己を重ねて
一喜一憂、揺れ動くことも
やがてなくなり

透過される
誰もが歩む人の道
ソコに映るモノなど有らずとも

続く葬列の長い列、
螺旋のように
どこまでも果てしなく続く
目には止まらる列へと
誘われ誘われ導かれて

誰もが歩む人の道の
平等さに
気付かされてゆく

人という生き物が
この世で深める罪のとは
いつも

他が、ために今、
ソコに在る自分が、と
最初の一歩を
踏み出してゆく。

肩に力を入れ
何に身構えようとも
誰のせいにも
出来ないことを

力み過ぎ
欲に囚われ
今の己に同情しては
己が何処に立とうと
しているかさえも
見失い迷ってゆくようで

そんな真似を
この世で己にさせること
その業に罪の報いの酷さを
観る者多くに示しては

同情、共感
ソコにそのように在る、

己のことを甞め
馬鹿にし弱いと思う
自分とは違う存在を道連れに

己が業火の渦へと
引き込む姿
本性、性根を
この現実世界で晒しては

そんな自らを
秤にかけて

自らが歩む道に
自らが欲し
求めるモノがない。と

気付く度に
己を試練の淵に
立たしてゆく。

生き掴んでみせようと
懸命に勇猛果敢に
何度でも己が弱さ
苦手なことに
一人向き合ってゆく貴方を

両手のひらで包んで
見守り続ける者が居る。

「正義感」を以て
己が弱さに荷担せず
「義侠心」を失わず
「徳」をも
失わぬ道をも、とうに知り

己が贖罪を自ら背負い
自分とは違う存在の業に罪の
全てが赦されることを願い

その罪に業の報いを
人知れず共に背負い

今、一人、この世のソコにて
不退転の境地に立ち

まるで
イエス・キリストのように
他者の罪に業をも
その背に背負い

自らの終着地まで
一人、歩き続けれるような
鍛え上げられた者が、

ソコに存在していなければ

この現実世界で
誰かのために、
今、自らが業に罪を
深めた者が深める者が
何を得たとしても救われず

何を自らが気付き得る
こと敵わなければ

己が両手のひらの内に
包んでいたモノが
己よりも先に
儚く脆く散っていった時

この現実世界で
人として
生き存在し続けることに
耐えきれず

己が欲に呑まれは
誰かの両手のひらの中で
何度も何度も

己が弱さに荷担して
その度に
己を秤にかけてゆく

人として
この世に誕生した者は皆、
人として天寿をまっとう
出来るまで

足掻くように今を生き
自らが徳を積むことを
し難く、煩わしい。
それよりも、己は今…と

己が欲を負ってゆく
 
そのように
この世に在ることを
赦し生かし
その罪を肩代わりし
今、一人、この世に在る存在に

敬意を以て
仕えることよりも

自らが欲っし
求めるモノを
追うような真似をする。

この世のソコでの
己が深める業に罪
誰のせいにもせず
誰に預けることもなく
生涯、己が其の背に背負う
決して拭えぬ業に罪と

自らが、一人
この世のソコで
背負うことが
敵わぬままの己を
己が秤にかけては

背負うモノに追われ
潰され、己が罪に業
背負いきれずに

ドラマや映画
自分とは違う存在に
自分の弱さを重ねては
一喜一憂、揺らいでは
己が傷に己自ら塩を塗り

誰かの両手のひらの上で
地団駄踏んで
泣きながら憤り
涙たたえ乞いすがるような
眼差しを贈る真似を

この世のソコの
秤に乗る
自らにさせてしまっては

また、人に成れぬまま
成仏出来ない魂は
この世の何処かで
何かに生まれ変わっては

その生涯をかけて
人に成れるか
試すのだろう。

人であるモノは
透過する
人の痛みも傷も
経験も苦しみも葛藤も
迷いも

道を過った分岐に
貴方に何が起こり
貴方がどうあることを
選んだのかをも

貴方だけではない
自分だけでもない
全ての人が抱える
危うさ脆さ儚さ弱さ

誰もが、そんな
境遇だったなら
その選択を
選んだかも知れない。

人として寄り添い
共に等しき
痛み傷、迷い苦悩葛藤を
分かつことが敵えば

自らの弱さに荷担せず
ソコに至るまでに
自らがこの世で出会えた
自分とは違う存在への
供養に変えて

迷える魂を
一つこの世から
救い出し

その御霊と共に
未来永劫、
ソコから先を
生きてゆく。

人生とは、成仏とは
そんなものなのだろう。