♡(。☌ᴗ☌。) | 王様の耳はロバの耳

王様の耳はロバの耳

普段口には、しないで
済んでいることを
こっそりと、呟いて…

人は、誰もが
愚かしくも、
あまりにも、簡単に

与えられ具えていた、
徳や尊厳を自ら失くし
迷ってしまうことを
私が忘れぬ為に書く
普段は口にしないこと。




読み進めるだけで

スーっと 自我が 
波のように ひいてゆく。

馬鹿と 話すと 馬鹿に成る。
そんな 言葉を 思い出し
失笑を 覚えた。

慎みなく 場に 周囲に
甘えては 好き 嫌いを
安易 安直に 口にしては

己を そのような者へと
己を 呪縛してしまう
業に エゴが 
己の 感覚器官を 馬鹿にして

生まれた 瞬間 
きっと、その前 初めから
具わっていた 何かを
損ない 失い
自分という 殻に 囚われて

この現実の世界に 在りながら
独り 寂しさ 孤独 
己から 湧き出る 負の感情
押し寄せる 荒浪に
己が 身を こころを 浚われて

エゴを 鎮めること敵わぬ
馬鹿に なっては
不自由に 孤独に 侘しく 

この世界で 出会う
何をも 感じとること敵わず

生老病死 諸行無常 を前に
慎むことも 弁えることもなく
己の エゴを 概念 主観を
絡みつけてしまっては

独り 寂しく 
己が エゴ 穢れ 柵に 囚われ
四苦八苦を 
覚えてしまうのだろう。

そんな 生き方は
何を 覚えているつもりでも
独り 生きているつもりでも

記憶に 残るは 孤独な自分
自分とは 違う者を
感じることなく 忙殺し

自分ばかりが 
独り 頑張り 多くを堪え
生きているように 錯覚させて

ソコに 本当は 何が 
あったのかさえ 
分からなくなってしまうのだろう

ヘレンケラーが 
初めて 水 と いう 言葉を
存在を 理解し
その暗闇に 色が 灯りが 灯った
その時の ことを 語る 
一文が あった。

スイカズラの香りに
誘われて…と 始まるその一文

当然 当初は
スイカズラの香りなんて
その香りは 何かも
分からずに

水の音も 水とは知れず
そんな 香りを 嗅いで
音を 辿り 近づくと

サリバン先生が
手をとって 
冷たい水に 手を触れさせ
もう片方の手に 1文字づつ
何かを 書く 感触
それは 何かを 感じていたと云う

きっと ソコに 至るまで
何度も 何度も 同じように
繰り返し 繰り返し
サリバン先生と ヘレンケラーは
闘いながら 同じ ことをしたのだろう

だから、ヘレンケラーは
ソコで 手に 書かれる文字が
前に 水を 触らされた時に
書かれた文字で 在ることを
ハッと 思い出し

それは このことなのか?と
水に 気付くことが
出来たのだろう。

人が 何かに 気付き
その記憶に 焼き付ける時は

人は 怠惰に 惰性に
己が 概念 主観を 
結びつけることに 失敗し

そこで 初めて 
出来ないこと 知らないことに
自分が 気付くことで

自分の 全神経を 注ぎ
感覚を 研ぎ澄まし 努力をし

そこで また
自分の 主観 概念を
纏わせることなく
それを 祓い 
己が 感覚を 研ぎ澄まし

本質に 自ずと
気付いてゆくことが 叶い
それに 気付き
その 感覚を 記憶して

人は 自分の知らないこと
己の 概念 主観に 
結びつけることが
出来ないものが 在ることで
覚える 不安 焦燥を 払ってゆく。

それは 生き物として
とても 本質的なことという。

無垢で 無邪気な者が
感じては 気付いた!と
嬉々と 語る モノのように
わたしは 感じた。

そうした 記憶は
人の 記憶に 長く残り

怠惰に 惰性に
この本によると
人が 生命力 枯渇する時
人の 記憶力は 減退し
その色彩も 色褪せるという。

己が 世界の 色が 乏しいのは
がん患者で 落ち込んでいる人が
描く 絵と 同じだそうで

この世界に 今を 生きることに
絶望し こころが先に 死し
今を 生きれぬ者が 世界は
色彩に 乏しい 世界なのだろう。

先を 生きるためには
感覚的な ものを 研ぎ澄まし
記憶を 失うことなく
生きるために
この本では
水彩画が 推奨されていた。

色が 滲み 混ざり
生まれる色に 
気付いてゆけることや

どのような 色で 描こうか
どのような 色を 用いれば
この色が 出せるのか
感覚を 研ぎ澄ましてゆくことが
とても、 大事な ことなのだろう。

人は 考える時に
言葉 概念を 用いるけれども
実は そうした 媒体は

サリバン先生が 繰り返し
ヘレンケラーに 与えたような
上辺な 記憶 ツールや
データ でしか なく

本質とは そうした
蓄積された 記憶 ツール
データを 前に

言葉や 概念 主観
ロジックを 伴わし
柵 枠組みに 囚われることなく

この本に 書いてあるように
順を 追って 感じてゆこうと努め
概念 ロジック 主観なく
無心 に なった 状態で

ヘレンケラーのように
本質に 触れるように
得心を 得ることが ある。

そうした モノこそが
本質的なもので
そんな 本質的なものは

概念や ロジック
柵に 納まらず

この本で 云うところの
生命力に 溢れている

そうした 存在は
ソコに そのように在るだけで

見るもの 聞くものに
とても 色鮮やかな 
イメージを 与え
眩しく 輝いて 映る。

だけれども 生命力が 衰え
生きる気力を 失った者は
色を失い 色乏しく

そうした者が
語る 概念 ロジック 主観すら
色が 乏しく 空虚に 映る。

そんな 空虚な者を 前にして
今を 生きようと する者が 居て
又 今を 生きようと せずに
惰性に 怠惰に 生きる者が 在る。

そのそれぞれが
己が 概念 ロジック 主観を語る

そうして 今
何かしらの 本質を 掴む者が
語る ロジック 概念 主観の世界は
とても色鮮やかで

傾聴する程
その 聴く者の 感覚を 呼び起こし
色鮮やかな 世界を 
イメージさせてゆき

虚ろな者が 語る
ロジック 概念 主観の世界は
傾聴する程 色は褪せ
荒み 乏しく 暗く成る。

読み 進めると 
禅の心を 思い出し

生きるという 本質的な
色鮮やかに 明るい
生命力に 溢れた 世界

この世界の
本質的な 希望を
感じてゆくことが出来る本。

また 読みたいなと 思った。