まだまだ
子供だった時、
祖母が 突然
風俗で 働く人を
馬鹿にしてはいけない。と
いつもと変わらず
突拍子もなく口にした。
何それ(笑)と
笑いながらも
こうして 言われたことは
折りに ふれ 偲ばれて
快く 思う。
ある時、離婚後の わたしが
田舎から 都会に出て 働いて
夫の作った 負債を 返した後
田舎に 帰ると
身体を 売ってまで 偉い!と
へ?身体なんて
売ってないよ(笑)
と、云うわたしに
偉い。と、繰り返す。
家の 祖母。
あり得ないよね~ と
この話題は わたしは
頻繁に 周囲に 語り、
当たり前のように
それほど 愛されているんだ。
それを にこやかに語る
わたしを 見ながら
また 周囲の人が
愛されるわたしを
慈しんで 接してくれるのを
わたしは いつも
嬉しく 思った。
その後は いつも
わたしは 嬉しさを 隠さず
快く わたしと 祖母の関係を
喜んだ。
月日が 巡り さまざまに
移り変わり 祖母も とうに
亡くなった 今でも
当時の こうした想い出は
とても 温かく
祖母と わたしの 仲良しさを
偲ぶと 共に
当然、祖母とは 違う
ありようの 人をも
見てきて 思う。
女の人が 風俗の女性を
風俗嬢と 軽んじる様は
エゴ 業 驕り 穢れが
表層に 現れていて
なのに、
そんな生業をするかしないか
それだけのことで
優位な 立場に 立ち
自分は 穢れていないように
振る舞う 姿は
風俗と 云う 生業を
恥と 忍び 務める者より
わたしは 穢れていて
そんな生業の 女への
嫉妬の ように 映る
醜い女の 諸行に 見えて
品を 重んじる 祖母は
裏表が ある人だったけれども
礼ある 姿勢を 崩さず
可愛らしくも 凛と
真を有した人で
子供のわたしなんかには
想像も出来ない 人生を歩み
その経験から いつも
わたしのために 成ることを
ずっと、ずっと未来を見て
そこかしこに 遺してくれた。
不意に そうした
他とは 違う 祖母を 偲んでは
とても 大きな 愛に 包まれる。
祖母が その時々
遠くを 見て 語った言葉は
わたしなどには
想像も出来ない程 時空を越え
過去を 未来を 行き来し
未来に 向けて 語ったのだろう。
祖母が わたしが もっと
うーんと 子供だったころ
解らない 文が あるならば
解るまで 繰り返し 繰り返し
読解に 務めれば
解るように 成るから
解るまで 読み返す。と
教えてくれた。
無垢で 無邪気なわたしは
実践して、ホントだあ。
祖母の 云う通りだ。と
いつも それもまた
嬉しく 思った。
十歳にも 満たないころに
教わったこと。
二十歳を過ぎてから
わたしは「得心」と 云う言葉を
再婚相手の 祖母に 教わった。
わたしの祖母は
祖父の仏前を 嫌う人で
再婚相手の祖母は 毎日
朝夕に 仏前に 座る人だった。
いろんな人から
いろんなモノを 教わりながら
わたしは 思う
解るまで 読み返すって
確かに 子供の頃は、
文章の 読解に 務めても
いたこともあるけれど
どこからか、
国語のテストの問いを
解こうとするように
読み返す ことよりも
いつしか
自らが それを読み
どうした解釈を 得て
自ら善し、わかった。と
判断を下し 得心を 得て
理解 と してきたかを思った。
わたしは わたしの人生で
「得心」と 云う 言葉に
出会えたことを 好機に 捉え
以降、物事事象に 対し
自らが 得心 を 自覚しながら
歩んでこれたことを
実の祖母を 偲ぶような
快さと 共に 想う。
わたしが わたしの
この人生を
わたしは 豊かに想う。
そんなわたしも
わたしの エゴを語れば
同じ 女として
恥ずかしい真似をする。と
一瞥をくれるまでもないけれど
エゴが過る 時がある。
風俗で 働く 女性を
穢れているかのように
見る女性に
七つの大罪を 思う。
当人達は
それを生業とする者より
穢れて ないように 振る舞い、
それを 生業とする者を
強欲で 傲慢で 怠惰に
色欲に 溺れているように 見る。
そうした 者に
この世界で 出会った。と
それを 穢れているように
その目に こころに 映し、刻んでは
自分は そんな女とは 違うと
己が 主義主張を 語る
女性のありように
七つの大罪
嫉妬、傲慢、強欲、怒り
怠惰、色欲、暴食
それらを 重ね 映しては
人と 云う者を 偲ぶ。
そこに 在る 男の人が
風俗で 働く女性を 前にも
凛としていて
自身の 周囲にある女性を
醜く 穢してしまうような真似を
己に 赦さぬ 者で あったなら
自身の周囲の 女性を
そうした 真似に
及ばすこともなく
汚してしまうことも
無かったろうに…
そんなことを 考えると
父や 伯父の姿勢が
瞼に 浮かび 嬉しく思う。
早起きした 朝の
穏やかな 一人の時間のような
心地よさが 快く
わたしを 支え 培う
存在に 触れては
今、このように
あれることを 嬉しく思う。