ある芸人さんが
「悪口」は
「影口」「噂話」を 云う人に
其の対象への
愛があるか 愛がないか。だ。と
自身の経験を語る。
愛がある人の
「影口」を「悪口」と
卑屈に 捉えることはないけれど
そうした人の言葉に便乗し
グラビアアイドル等が
唱えるものは「悪口」に思う。
そう、彼が 云う視点は
日頃 誰もが 見かけることが
あるものだろう。
僕は 人と云う 生き物は
全般に 他の欲に
意識が ゆくと、ポカをする
生き物だ。と 思う。
こうした グラビアアイドルも
他の「欲」に こころを奪われ
自ら ポカをし 疎かに
してしまったものがある。
僕は 其れを 自覚して
自分の 責と認めれるかを
責任と呼ぶ。
そんなグラビアアイドルを
観るものは ソコに
「欲」を 観て 不快に思う
其れを「邪心」と
卑しい、いやらしい と
誰かが 観たとして
其の グラビアアイドルが
誰かに「悪口」を 言われた。と
被害を被ったと
自分を そう観た者を
悪者にするなら
あまりに 無責任だ。と思う。
自業自得でしかない。
僕は「悪口」とは
芸人さんとは 真逆に
「影口」「噂話」の
的に なった者の
責任感や 思い遣りが
試されているように思う。
この芸人さんは
仲間内を 疑わない
だから 仲間内の 愛を
疑わないから
其れを「悪口」と
卑屈に 受け取ることがない。
僕は また 思う。
グラビアアイドルのような者は
どこにでも 見かける程に
そこかしこに いる。
他のことで
無垢に 無邪気を 保っても
欲による ポカの 報い、
只 その一点 が ために
舵を 手放し 迷う者。
自らの 責任を
腹を据え 肝を据え 背負いきれずに
一人で いることに
より心細く 不安 焦燥抱いて、
同調 共感を 共有し
誰かと 同意見であることに
ホッと 胸のつかえを下ろし
一人で ないことに 安堵すれば
共依存が なければ
生きれないものが
ソコに簡単に 生まれるんだ。
そうした者の 災難は
それだけには 留まらない。
自分の意見に
同調 共感 共有を
覚えてもらっているし
自分も、その仲間の意見に
同調 共感 共有をもつことを
思い遣りと 信じ込む。
其の自分の意見さえ
自分が発したものではない!
他の誰かも云っていることだ。と
自分の言動に
一切の責任を持てないまま
其れは 自分の言葉だ。
他のものには 関係ない!と
云うことも 出来ないまま。
自分の「我慢」に
竹炭をくべる
他人と 影口 噂話
不満 愚痴 不快を 共有し
仲間内で 楽しい。と
自分が 務めに 準ずる折りに
覚えた 不快 不満 愚痴を
自己責任。と
相殺(葬祭)することも
出来ないまま、
自分の「我慢」に
燻る 竹炭を くべるんだ。
そうして 其れを
冷ますのには
仲間内と ワイワイ戯れ
其れを ちゃかし
今、対峙すべき物事に
対峙することなく
依存する場を 思い出しては
今、自分が 責任以て
今に 対峙することを知らない。
自らが 仲間内と
影口 不満 愚痴 悪口
噂話で 盛り上がり。
一時、気が晴れたとしても
また、自分が
影口 不満 愚痴 悪口
噂話を 広めてる相手に
自分を 準じ 仕えさせる。
なんの拷問だ?と
僕は 思う。
不満 愚痴 我慢 燻り
不快感を 自分の苦痛を
何故 わざわざ
大きくするのか?
僕には 仲間内の場に帰り
苦労自慢を
したがっているように見える。
自分の尊厳 自負をも
卑屈に 妬み嫉み
損なう真似をして
仲間内も 大半は
同じ働きをして
仲間内と いいながら
悪口 影口 良くない噂話を
絶やすことなく
それでも
自らが 依存する場に
浸ることが
現実に 務め 生きることよりも
其の当人にとっては
大事なものに
なっていっているように映る。