何故、私がこれ程までに参政党とヤマギシに心酔しているのか考えると、私という人間が本来持っているモノに照らして「本物」だと思っているからでしょう。


 私は23才の時にヤマギシと出会いました。キッカケは私のいとこがヤマギシの移動販売車でヤマギシの生産物を買っていて、そこでヤマギシズム特別講習研鑽会を知り、自分が行ってみて良かったから私にも勧めたという流れです。特別講習研鑽会のネタばらしはしない方が良いと言われます。しかし、私はそこで話し合われた内容より"一体感"を味わった事が一番価値があると今も思っている。


 私は結婚の経験が無い独身です。一人暮らしが長く、一人で何でもやって来た。そんな自分に「寂しくないのか?」「日本の様な国に住んでいて、老後が心配にならないのか?」と問いかけるが、決まって自分に答えるのは「私は一人ではない。」「そんな事心配しても未来は変わらない。なる様にしか成らないから、それをそのまま受け入れよう。」です。


 こんな考えになったのは明らかにヤマギシの影響です。ヤマギシにはヤマギシズム理念というものが幾つか有りますが、その事の理解より私がヤマギシの村で経験した事やヤマギシで関わって来た人たちの言葉が今の私を支え続けているのです。ヤマギシの講習会で体験した事は今後も一生消えないでしょう。それは人が持つ普遍的な価値だからです。それは考えて分かる類いものではなく、感じ取るものです。


 私はこの世に生まれて来て「一人」だと感じた事は一度もない。しかし、「一人が淋しい」と言う人は世の中に沢山いる。私はそれを「一人」だと思う事を「一人」だと勘違いしているのだと思っている。人は何故か「一人」だと思うと本当に「一人」だと感じてしまう。コレがある意味人間の不思議な所というか、人の思考がもたらす感情というものでしょうな。私は長年このテーマについて考えて来たから、怒りや悲しみの感情が自然と湧いて来るものではなく、人が思考した結果だと思う様になった。


 ヤマギシでは事実の方がどうなっているかという思考を促す。人には色々の考えや思いがあるのだが、それとは別に存在している事実の方に目を向けるという事だ。「事実と思いの分離」と言って、自分の思いや考えと事実そのものを分けて考察するという思考法がヤマギシにはある。これはヤマギシ特有のものではなく、それ以外の社会でも用いられている様だ。しかし、私たちが住んでいるこの今の社会はその様な視点から作られていない。人の思考した結果を事実と勘違いしているパターンが多く、それによって今の社会は成り立っている。


 今を生きるほとんどの人が事実と自分の思いを混同して考え、生きづらい社会をお互いに作っているのが今の社会であり、根本的に間違っているものでしょう。「ヤマギシズム社会の実態」と聞くと貴方は何を思い浮かべるだろうか? ヤマギシズム社会とはもう既に存在していて、実態として有るという事です。それは目に見えるものではなく、事実事態として明らかに存在しているものです。それを真理と言って良いかもしれませんが、それに即応した社会を形に表そうとしたのがヤマギシの村です。「共同生活しているだけだろう。」と冷ややかな目を向ける人たちも居ますが、真髄が分かっていません。


 ヤマギシを知っている私は参政党に同じ価値を見い出した。参政党は今かなりアンチからの妨害工作を受けています。今のこの状況で議員、党員として活動している人は間違いなく「本物」です。参院選直後10万人まで膨れ上がった党員数は、現在4万6千人です。この数字も去年の5月時点のもので正確な数字は分かりませんが、恐らく似たような数字でしょう。そして、今参政党を支持している人たちも本質が分かっている人たちです。「信者」ともアンチから呼ばれていますが、「信念」を持っている人です。


 ヤマギシの創設者は目に見えないものに価値が有ると説き、参政党の発起人は教育が大事なんだと言っているが、どちらも目には見えない価値を人に求めている様に感じる。山岸巳代蔵は神谷宗幣の働きを評価し、神谷宗幣にはヤマギシズムの真髄が理解できるでしょう。ヤマギシ会も過去には警察が介入する事件もあった様です。脱会者から訴えれた事も有ります。参政党は今は妨害工作が盛んなだけで、警察沙汰は有りません。N党絡みの裁判には勝った様ですが、それはカワイイものです。参政党の本部にいた女性が自殺して、それをネタにアンチが再び参政党を叩いている様ですが、誹謗中傷も度を越すとどうなるか...


 私はヤマギシと参政党に確信を持っています。中途半端な輩がたまに私の所にチャチャを入れて来ますが、無害な虫程度にしか思いません。私は部屋に紛れ込んだ小さな虫を見ては「オマエはここに何しに来たの?」と問いかけています。「きっとオマエにも何かしらの役割があるからここに居るんだね。」と呟いて終わりますが。参政党アンチはきっと生まれて来た人の役割を忘れてしまった人たちでしょう。気付かせようとは思いません。好きな様にやったら良い。私も確信を持っている以上は好きにやらせてもらうからな。