私は極度の面倒くさがりだ。何をするにも先ず先に「面倒だ」という思いが頭の中にポッと浮かぶ。とにかく余分な物や事柄は極限まで削ろうとする私だ。書いていて思うが、めんどくさいと思う生き方になっているのだろうな。
筋金入りの面倒くさがりの私は、いつも自分の人生に生き甲斐を求め、自分の人生を充実させたいと切望している。その為に本を買って読んだり、資格を得ようと通信教育講座を受けたりしたが、どれも途中で挫折する。長続きしない。何故だろう?子供の頃は色んな事に夢中になれた。絵を描く事、チョロQ、ガンプラ、勉強も好きだった。陸上部に入り主将を務めたこともある。しかし、今は仕事を含め全ての事に夢中になれない。食べる事、寝る事、Hっな事、本能的な欲求しか無いのだ。
他の動物とは違う人は、精神的な欲求がある。
私はそれをずっと追い求めて来た。哲学的に考え、色々試行錯誤して来たが、頭の中でどうどう巡りするだけで確実な答えを導き出した事が無かった。それでも生きる為のヒントを過去に出会った人たちから得ていた私は考える事を続けて来た。考えるだけではダメだと分かったし、それに行動をどう繋げて行くかも考えて来たが、失敗ばかりだ。中々成功しない。それでもどうしても何らかの手答えが欲しいと思い、哲学的に考える事はずっと続けて来た。勿論、それと並行して自分の行動も変えて来た。しかし、決定的な答えを得ないまま今も漠然と生きている。
よく「こうだ」と分かった人は危険だと言う人たちがいるが、私はそれを誤解していた様だ。世の中の全てを分かり、真理を掴んだ人は居ないから、人は皆不完全で死ぬまで勉強する存在だと言う事は分かる。しかし、悟る事は誰しも可能な事であろう。理屈っぽい私は理屈をこねてそこら辺も理解して来た。でもね、そこに自分の実感が無ければ第一に自分自身が心底納得せんのよ。分かった様な理屈で自分を納得させ、それを行動に移したとしても、それは嘘だし、キレイ事になってしまう。
自分の人生を、たった一度しか無い人生を、後悔の無い幸せなものにしたい。
私の本当にやりたい事はそう言う事。
前回のブログで私のやりたい事は中々難易度が高いと書いた。しかしね、よく考えたら、子供の頃は何の意識もする事無く自然にやっていたよね。それがその事を考え始める様になってからドンドンそれから遠ざかっている。子供の頃の様に無垢に純粋に生きたいという邪念ね。
哲学的に考える事は1人でも出来る。しかし、それはいつも誰かを想定して自分1人にならない事が肝要だ。1人よがりになってしまう。私1人が満足出来れば良いのだが、それも1人では無理なんだ。人は社会的動物だから絶対に誰かと繋がりたいという強い願望というか本能が埋め込まれている。三島由紀夫は如何に死ぬかをずっと考えて来た人だが、その根源には誰かと繋がりたいという本能的な思いをいつも強く持っていた。見知らぬ人に挨拶されてこちらも返した時に何か心の中が柔らかくなる。知り合って間もない人でも何か共通点を見つけた時にテンションが上がる。人と付き合うのが面倒だと思う事もしばしばあるが、人は人と共に幸せになって行く存在だろう。
人は人によって幸せになったり、不快な気分になるね。
人は1人では生きていけないし、幸せになるにも1人では無理だ。これだけは真理だと思う。その人という存在が真に幸せな人生を送るにはどうしたらいいか。それは先ず1人1人が真の幸福観をもつ事だろう。私の様な人生に問いを持っている人は今の日本には沢山いると推察する。こんな世の中だから精神的に強くないと無理な感じがする。これがバブル期以前ならまだ誤魔化しが効く。日本が豊かだった時代も精神的に満たされない人たちは沢山いたけどね。今はある意味厳しい時代だが、逆にチャンスでもある。給料は上がらないのに、物価だけが上がって行く。しばらくこの状況は続くし、もしやするとリーマンを超える経済危機も予想される。
どんな時代だろうと、何処に居ても、変わらない幸せが真の幸福だと思うし、それを実現させるものは人の知能だと思う。物はどうにでもなる。心をどう扱うか。それが今問われている。哲学的に考える事で真の幸福観を導き出し、1人1人がそれを実践する事で世の中が変わり、結果として皆が幸せな社会が実現する。私のやりたい事はそう言う事です。私のやりたい事は中々難易度が高いと書いた。しかし、それは間違いかも知れない。やってみれば簡単な事で誰もが納得してやれる事だろう。ただ、そこに辿り着くまでに時間がかかる。私も腑に落ちるまで20年以上かかった。私以外の方は20年もかける必要はないし、今の時代は待ってくれない。
真の幸福観だとか抽象的で分かりづらい事を書いたが、要は「本気(ガチ)」になれるかどうかだ。アイドルオタクが推しに夢中になっている状態。私の子供の頃。大人になって仕事に家庭に自分の余暇に本気になれているかが指針になるのです。ただ、自分1人よがりの場合には周りを不幸にし、結果的に自分自身も不幸になるけどね。そこはめんどくさいと思っても理屈で真の幸福とそれ以外の間違った幸福に分けられる様になる事でしょう。そこまでスッキリ頭の中で整理できたら、ようやく自分が具体的に何をしたら良いか自ずと分かると思う。
めんどくさいとは、生きていくのに必要な事をやる場合において、自分の行為を省いても生きていく為の事柄が成就すればいいのにと願う事で生じる感情。真の幸福とは何事も真新しく感じ、それ自体をやる事が楽しい状態。無心、無我の状態。寺の坊主でなくとも気付かずに私たちもそんな瞬間を生きている時がある筈。先ずは何事も本気で臨む事でしょう。そして、哲学的に考え、それらを自分の中でハッキリと言語化する事で揺るぎないものになります。