今日からお盆ですね。私は田舎には帰らずに自宅アパートの部屋に亡くなった母親が帰って来れる様に部屋の掃除をして、お供え物を買って来ました。


 こんな事をするのは人生初です。信仰心が無かった私はここ数年で180度考え方が変わりました。神の存在を信じ、亡くなった者に敬意を払い大切に思う。今まで自分をこの世界で一番上に置いていた私が(亡くなった)親を自分より上に持って来る様になった。普通こんな事は親が生前に躾てとっくに昔に身に付いていて当たり前の事だろう。しかし、私は数年前まで自分の両親を見下し、軽蔑していた。そんな自分がある事がキッカケになって親の存在を正しく認識し、素直に受け入れる事が出来たのだ。


 私の両親は学が無く、頭も良い方ではなかった。父親にいたっては、吃る癖が有り、他人としゃべるのが苦手だった。母親もあまり社交的な方ではなく口下手だった。そして、私もあまりしゃべる方ではない。躾が我が家に無かった訳でも無かったが、当時の私の中にあったのは恐怖と反発心だけだった。そんな家庭環境でも私は母親には心を開き甘えていた。しかし、子供心に自分の親を下に見る態度があった。成人しても他人を自分より下に見る癖は全く抜けなかった。そういった私の態度を指摘してくれる親切な人もいたが、それを素直に受け入れる事は無かった。


 4年前のある日、突然田舎の姉から電話がかかって来た。「何の用だろう?」と少し面倒臭そうに電話を取ると、京都で独り暮らししていた母親が亡くなったという知らせであった。母親とは私が中3の時に両親が離婚して以来一度も会っていなかった。その一報の数年前には生活が苦しかった母親を見ていた民生委員の方が田舎の姉や私に母親の面倒を見れないかと連絡を取って来たが、私たちは拒否してしまう。姉家族も生活して行くのに精一杯で母を受け入れる余裕は無かった。独身だった私は受け入れようと思えば出来た筈であったが、私はその当時の自分一人の生活を壊したくなかったという身勝手な理由で実の母を見捨てた。


 何故、そこまで私は冷酷になれたのか?

 

 自分さえ良ければ良いという利己的な考えに支配されていた私は、子供の頃に離婚した母はもう姓も違うし、赤の他人であり身内ではないと理由付け、関係ないとしていた。私は当時の自分の行いを後悔している。何故あの時自分のもとに母を呼び寄せ無かったのかと。悔やんでも悔やみ切れないが、その当時の私は自分一人の生活を母が来る事で壊したくないという気持ちが強かった。その時はそういう価値観の人間だったので、今悔やんでも仕方ないだろう。今の私はその頃と全く違い、母を大切に想っている。私は今だに独身なのだが、初老が一人でこれから生きて行く事に不安も寂しさも苦しみも感じていない。それは遅ればせながら母親を尊敬し、今も大切に想う気持ちが有るからだと思っている。今の私が自分の事しか考えない相変わらずの利己主義者だったら、53才のオッサンの一人暮らしは不安で仕方ないだろう。しかもこの崩壊目前の日本に住んでいるのだから。