小さいころからやる気無くて、周りから全然評価されていなかった。
ある時ふと、時間をかけてやってみて成果を出してみたらどうなるんだろうって思った。
もともとそう思ったのは、塾の先生が親身になってくれて、いい人だったからなんだけど。
家族や近所の人、親戚、同級生、学校の先生がどうしたって欠点を見つけられないぐらい、いちゃもんとか言い訳できないぐらい、きちんとやって、成果も出してみた。
最初は、誰々の方が優れているとか、だれでもできるとか、もしもどこそこの子が高校に上がる年になったら○○高に入れる、あの子は頭がいい子だからとか、自分が若いころのこととか持ち出して張り合ってきた。
(仮にもしその人が本当に詳しいなら、すごい、優秀なんですね、と相手を持ち上げつつ、その人の得意分野の話や、自分が苦手なポイントがどうしたら克服できるかとか聞いて、勉強になりました、って感謝するという話の流れにするといいんだろう……。20代のころの私にはそんな話術は無かったが……。)
さらに黙々と勉強や仕事をして結果を出す。
ところが不思議なことに、そうなったら今度は理由をつけて自分の手柄にした。私が朝起こしてあげたからだとか、自分が毎日仏様や神様にお祈りしていたからだとか、はては夢で見たからそうなるとわかっていたとか。
そう言われると、またやる気が無くなった。いいことがあった時も悪いことがあった時もこの人達に知られたくない、報告したくないって思った。
人が嫌。
何か同じことをやるとしても、同じ能力を持った別の人とやりたいって思う。
ただ、よかったねって喜んでくれて、それで終わればいいだけなのに。
結局、自分が上になる、有利になることだけが重要、目的だっただけなんだ。そこにしか興味が無かったんだ。
だから劣る存在としているうちはいいけど、自分より優れた何かを持たれるのは嫌なんだ。
やっぱり一緒に何かをやりたくないタイプだった。家の人達。一生懸命やればやるほど、自慢話、自分の立場を有利にするためのネタとして利用されるだけだなって。
一番の元凶は祖母だろうけど……。
資産家の家のおばあさんってこういうタイプが多い。外に働きにいかないで専業主婦でお金があって消費するだけの人だからかな……。いばっていても、お金で人が寄ってくるから。おじいさんは外に働きに出ていたせいか、会社員としての社会人のマナーや気遣いや常識があったりする。
いろいろやってみたけど、小さいころに私が思っていたことと同じで、家の人達ってうまくいった時は自分のおかげ、悪い具合の時は他人のせいって人達だった。
その時にその場にいない人とか、おとなしい人のせいにされやすくなる。
やる気が無くてなんの能力も無い人間になっていってしまう。また、その方が嫌な思いをしないで済んで、平和だったりする。なんだかんだ言ってもめんどうを見てくれるけど……。だから、やる気が無くなった状態だと、家の家族といても不満が出ない。(張り合われたりも、手柄を取られたりもしないから。)
でも、家の子は能力が低くてやる気もなくてしょうもない、よその家の子は能力が高い(かわいい)のに、と遠回しに嫌味を言いつつうらやましがる。
人が一番大事よね。
やる気を出すには、本当は理由をつけて離れるのが一番いいんだろう。仕事や勉強を理由に。会うのが数年に一度程度でよければいいのに。嫌でもつきあわさせたがる。居心地悪いのに。
本当は、親戚のおばさんの顔なんて見たくもない。
家族とは、見栄が絡むような話はしなくて。となると、テレビの話しかしないのが一番無難なんだろう。