以下はあくまでも私の私見です。
考え方の異なる方も、おおらかに見逃してやって下さい(笑)。
女優 広末涼子の「不倫」が、世間を賑わせています。
でも以前から、なぜ「不倫」という言葉が使われるのか疑問でした。
行為は同じなのに、未婚者だと「恋愛」で、なぜ既婚者は「不倫」なのか。
法律(戦前は姦通罪があった)に反してもおらず、愛し合っているのだから、
他人がとやかく言うこと自体、おかしいのではないか。
「広辞苑」では、以下のように「不倫」を解釈しています。
男女が、越えてはならない一線を越えて関係を持つこと
越えてはならない一線、とは「どこ」なのか(笑)?
「広辞苑」の編集者に、ガイドラインをぜひ訊いてみたいものです。
そもそも「倫(みち)」という道徳的な概念を持つ文字が使用され、
単語として使われるようになった経緯が、不可解でなりません。
配偶者や家族を傷つけ不幸にするから?
社会的地位や金銭を失いかねないから?
そうしたことにならないために「理性」をもって戒めるため?
では極端な例ですが、配偶者のほうも婚姻の継続より金銭解決を希望し、
社会的地位を投げ出す覚悟であったとしても、
それでも道徳的、社会的非難・制裁を受けなければならないのでしょうか?
脳学者の中野信子は、「不倫」がバッシングを受ける理由をこう分析しています。
「共同体の「フリーライダー」を検出して社会的制裁を加えたいという
人間の本質的な欲望があります。」
「不倫」バッシングの本質は、単なる「欲望」でしかなかったのです。
つまり「不倫」という言葉は、
「道徳を隠れ蓑に、そもそもある「欲望」を隠蔽し、制裁行為を正当化し、
当事者を貶めることで快感を得る」ために作られたのではないか。
だからこぞって、無意識に使うようになった、私はそう推察しました。
こうした推察から、私の考えとしては、
互いを「愛している」という感情のほうが大切!
周囲が何を言うかに振り回される必要はなく、
解消すべき現実的課題は、粛々と取り組んでいけばいい。
ましてや広末涼子は女優です。
恋愛もしない女優に、素晴らしい演技など期待できるはずもありません。
だから、広末涼子の「不倫」を心から応援します。負けるなっ!