「最初アレビン(10~11歳が中心のカテゴリー)で、FWとして始めたが、あまりにもパワフルだったので、前にスペースが足りなくなってしまった。持てるものを最大限に発揮するには、前方に長い距離がある方が良くなったんだ」
故郷カマスのクラブに埋もれていた少年セルヒオを、知人が伝え聞いた噂を元に発掘したセビージャ育成部門のコーディネーター、パブロ・ブランコは思い出す。
13歳になってカデテA(15歳中心)に上げられたセルヒオは、FWから中盤の底にコンバートされた。15歳でフベニールA(18歳中心)入りしてからはCBが定位置となった。そして16歳になり、Bチームに引き上げられると、右サイドバックを任されるようになった、それは彼の天分をいち早く見抜いたブランコが「今、世界中を見渡しても上手い右サイドバックは見つからない。君なら最高の選手になれる。サイドバックをやりなさい」と、かねて勧めていたポジションである。
セルヒオは俄然輝き出した。
「DFとは思えない巧さがあった。力強くて強固で、攻め上がった時は敏捷。技術に間違いはなく、両足をほぼ同じように使える。あらゆる面で優れていた」
当時トップチームの監督をしていたホアキン・カパロスは、サブ対Bチームの練習試合で初めて見たセルヒオに驚いたことを覚えている。
こうしてカパロスに見初められたセルヒオは17歳でセビージャのトップチームデビューを果たすと、19歳の誕生日直前には史上最年少でスペイン代表デビューをも果たし(後にセスク・ファブレガスが記録を塗り替えた)、その半年後、アーセナルやミランに袖を引かれる中、レアル・マドリーへの移籍を決めた。
余談だが、この時レアル・マドリーがセビージャに支払った2700万ユーロ(当時のレートで約36億5000万円)は、スペイン人の国内移籍としては史上最高額である。世界レベルではほぼ無名の、20歳にも満たないDFにこれだけ払わねばならないことをレアル・マドリーの会長フロレンティーノ・ペレスは不服としたが、スポーツディレクターのアリゴ・サッキに「今後15年は活躍する選手になるから」と説得され、結局交渉をまとめた。あれから2年経った現在、セルヒオ・ラモスの獲得は「レアル・マドリー近年最高の補強の1つ」、「ここ数年で一番の費用対効果」と評価されている。
毎年有望株が何人も現れるスペインにあって、セルヒオは将来が最も明るい1人と言っていい。彼の長所をざっと挙げると、山男のようなカルレス・プジョルさえ一目置くパワー、クラブだけでなく代表の試合にも休みなく出場しながら疲れを知らない体力、セビージャの入団テスト時にブランコが注目した「遠慮知らずなところと意志の強さ」、複数のポジションをこなす戦術的センス、セビージャ時代はフリーキッカーを務めたこともある正確なキック、精妙なボールコントロール、DFらしからぬゲームビジョン、高くて強いヘディング……。枚挙に暇がない。
中でも秀でているのはFW出身らしい巧みな攻撃参加と得点力だ。
10月半ばに100試合出場を達成したレアル・マドリーでの1試合平均得点は、DFでありながら0.15。中盤から前で使われ、常時オフェンスに関わるグティと全く同じ数字である。攻撃的DFとしては史上最高の1人に数えられるロベルト・カルロスでさえ、レアル・マドリー時代の数字は0.12だ。
「昔から攻めるのは好きなんだ。選手なら誰でもゴールを決めたい、そうすることで自分の価値を実感したいと思ってるものさ。それに、ゴールの数だけで選手を計る人って多いだろ」
解りやすい理由で自分の得点の多さを正当化するセルヒオは、カマスでボールを蹴っていた幼少期から、’80年代の天才ベルント・シュスターやアルゼンチンのスピードスター、クラウディオ・カニージャといったオフェンスの選手に憧れてきた。しかし自分に課された仕事を強く意識するようになった昨今は、リーガが誇る名守備者2人、バルセロナのプジョルとレアル・マドリーの元CB、フェルナンド・イエロを鑑としている。
「幸運にも、プジョルとは代表でチームメイトになれた。素晴らしい人間で、凄い選手だ。僕を彼に喩える人がいるけど、名誉なことだよ」
イエロについては、背番号4を受け継いだこともあって、比較対象というより後継者と見られている。
「4を選んだのは『一番好きだから』が理由だけど、あのイエロの番号を背負えるわけだから誇りに思う。彼のように、このクラブの歴史に名を刻めたらいいな」
セルヒオの、その夢はきっと叶うだろう。
21歳にして絶対的レギュラーというだけでなく、乞われれば厭うことなくサインをし、誰もが嫌うウルトラスの一団をも「応援してくれるから」と擁護する気取らない性格で、ファンの人気もチームトップクラス。ピッチの中でも外でも、「今後15年」はともかく、10年は間違いなく主力であり続けるはずだ。レアル・マドリーの顔の1人として。