学校でのことは、授業中は指されるのが嫌で下を向いているか、窓の外を見ているか、、
教科書を見るのも先生の話を聞くのも、とにかく嫌だった。
それに秋の運動会も毎日、毎日、行進の練習ばかりで嫌いだった。中学校と一緒の運動場で200mもあるトラックの周りを4列縦隊になり、赤白黄緑のハチマキを巻き、手を高く振り、足を揃えて歩いた、歩いた。先生の太くて大きな号令「いちにー、いちにー」とピッピィーッ、ピッピィ゙ーッと高鳴る笛に合わせて、ただひたすら歩いたんだ。
まだまだ暑かったから 額からは汗が何本もスーっと落ちてきたのを手で拭い、背中はもうべチャベチャで気持ち悪い。
「どうしてこんなに行進ばっかり練習しなければいけないんだー」と言いたかったけど、そんなこと言ったら兵隊あがりの勉先生に思いっきりビンタされちゃう。怖い先生だった💦
組体操も何度も何度も練習した。誰かが失敗すれば、またやり直し。少しぐらい失敗してもいいじゃないかと思ったけどそうはいかなかった。あの勉先生が「よし」と言うまで続いたんだ。体が弱かった照ちゃんの組は照ちゃんがすぐにバランスを崩すからいつまでたってもうまくいかなかった。照ちゃんが運よくできると終わるけど 照ちゃんもかわいそうだったし、みんなもかわいそうだった。
それにリレーや駆けっこ だって何度も何度も練習するから みんなの実力が分かってくる。そうなると、やる気が だんだんなくなっちゃう。
駆けっこは、背の高さの順に4人ずつ 赤白黃緑に分かれて50mを競争するんだけど、いつも2番でトンボ鉛筆1本もらうだけ。組対抗リレーは補欠だし、つまらなかったなあー
負けず嫌いのかあちゃんが お弁当持って応援に来て、「頑張れー、負けるなー」と大声で応援してくれたけど 全然 力が入らなかった。
でも、練習の合間や出番を待っている時は楽しかったよ。指相撲や 腕相撲 それに石並べ、そして相手を突っついては、じゃれあっていた。石並べは地面に9個の〼を描いて、石を並べて戦ったけどどんなルールだったかなあー
周りは 応援合戦で、ワアーワアー、キャーキャー 盛り上がっていたけどそんなの関係なかった。
そうはいっても、棒倒しや 騎馬戦は面白かったな。棒倒しは 棒が倒れるまでなら何でもありで、人の頭を乗り越えていくのがいたし、、騎馬戦は騎手が落馬するまでなら取っ組み合いもありで、落ちないように馬の横にしがみついてまでも頑張っていた。そんなことでみんなものすごく興奮して盛り上がったんだ。
あじちゃんは棒倒しでは 棒の根元を持って倒れないように踏ん張ったり、馬の前足になってやられ損だったりと地味な役回りだった。「前へならえ」をすると1年生の頃は前から3番目と背が低かったけど、その頃のあじちゃんは、1学級には男は27人もいたけど 後ろから5番目ぐらいで背が高かったからなんだ。
でも馬の前足は弱そうな馬を見つけるといきなり襲いかかったり、こいつは強そうな馬だと見ると一目散に逃げたりと重要な役割があったんだ🤚
棒倒しの損な役割だって、片手は自由だから、登っていくやつのパンツを引っ張ってやったりと結構、面白かった。
でもね、暴れん坊がいっぱい いたから勝負がついてピーっと笛が鳴っても、「うるせえー」「おめーが悪りいぃんだ」とか、小競り合いや いがみ合いが続いたんだ。顔を引っ掻かれたり、手をすりむいたり、更には 度が過ぎて殴り合いになってしまったから 怪我がつきものだった。棒倒しと騎馬戦はとにかくすごく男らしい運動?だった。
女の子たちはいいよねー、「キャーキャー」叫びながら 玉入れをやっていた。青空には 何十個も何百個ものお手玉が ポーン、ポーンっと舞っていた。
お手玉は、数珠玉で作ったお手製で、女の子たちは器用だった。数珠玉は、すすきの近くにたくさんあって、トウモロコシに似た草木の実で赤や茶、灰色などいろいろな色があった。そう、妹に頼まれてその数珠玉を採りに行くと何百もの「泥棒草」があっという間にズボンやセーターにびっしりついちゃうんだ。一つずつ外さないと取れないから本当に困ったよ。
兎に角、チャンチャンチャンー、チャチャチャンチャンー、ジャンジャン、ジャカジャン、ジャカジャカ、ジャンジャンジャンーだったかなあー。音痴なのでよくわからないけど、今でもその音楽がなると、横断幕「秋季 運動会」の下で入場行進を座って待っていたのを思い出す。
そして休み時間になると渡り廊下をピョンピョンと飛び跳ねて大急ぎで外に出てドッチボールだ。
女がでかくて投げるボールが速いので逃げるのが大変だった。なかでも片足が不自由だった山田さんのはすごかった。あじちゃんはボールに当たって死ななければずっと陣地にいられるからと、休み時間中は逃げに逃げまくったんだ。
野球も流行っていたよ。三角ベースをしたり、地引君が投げるボールを白井君が打って、それをみんなが競い合って捕っていた。あじちゃんはたまに参加したけどつまらないからすぐにやめちゃった。
そのうちに ジーッとベルが鳴って授業の始まりだ。ショボン。
勉強はどうしても好きになれなかった😥
その上に小学校5年生の頃 困ったことにイジメが流行ったんだ。初めは一人の男の子が親が水商売をしているっていうだけで仲間外れにされたし、お寺の坊主の息子でお経を読んでいるというだけで、石野くんがやり玉に上がった。石野くんは ムキになって取っ組み合いしていたけど、多勢に無勢でやられちゃった。かわいそうに。それに足の悪い女の子がいじめられそうだったけど、強すぎて逆にいじめっ子の市沢くんも閉口していた。山口先生の時 教室の中は ピリピリしていた。
あじちゃんも「はにわ」ってからかわれたんだよ。社会の教科書にのっていた埴輪にそっくりでのっぺらぼうで色白だったからだった。時計屋の宮内くんが音頭をとって、からかいにきたので喧嘩になり、羽交い絞めにして首をしめてやったら、目が白黒。それからは 誰も何も言わなかった。
いじめられた男の子は空手を始めて 中学生の頃は学校で一番強くなっていたし、大人になってからは 商売繁盛だった。それに石野くんは千葉県で一番えらいお坊さんになったみたいだよ。そして足の悪かった女の子は木更津駅のそばでラーメン屋を開いていた。いじめられた子たちはみんな立派な大人になったんだ。
そして、ベルがジーっと鳴り、授業が終わると、廊下に這いつくばって「ヨーイ、ドン」で廊下を行ったり来たりしてぬか雑巾で廊下をピカピカに磨いたんだ。すごくきつかったけど、これでやっと家に帰れるんだと思って一番 元気になったような気がする。
学校はみんなが集まるから それだけで楽しかったけど、授業は大嫌いだった。ただ算数だけは好きだった。小2の時、森先生に褒められたからだった。
終わり)