文明の衝突(旦那ken) | のん気夫婦の中国・天津・大連生活ブログ

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いつも、厦門の海岸線をジョギングするのですが、

いつも通る場所に、こんな大きな看板があります

photo:01



『一国两制統一中国』
とでっかい、でっかい看板です。


ちょうどの目の前の美しい綺麗な海岸線の向こうには
台湾があります。けっこう多くの中国人観光客が写真を
とっておりますが、皆どういう気持で写真をとっているのかなと。


やっぱり看板のとおり、一国に2つの制度(共産党と国民党)

でもいいから
同族なんだから統一だろうよ!!

そんな気持ちなのでしょうか?

ちょうどこの写真をとった日、読み終えた本が

サミュエル・ハンチントンの『文明の衝突』でした。

photo:02



Samuel P.Huntington

『The Clash of Civilizations And The Remarking of World Order』


500ページもある太い本で、

読み終えるのに2週間もかかりましたが。

著者は、冷戦後多くの民族紛争がおきているが、

これらの紛争の原因は異文明間の衝突であると言い、

政治的なイデオロギーではないと言う。

文明や文化によるアイデンティティーによって統合や

分裂のパターンが作られていると言う。

丁寧にそれぞれの紛争の背景にある、

宗教や文化、歴史からそれぞれのアイデンティティーの

定義が違うということを示し、

フォルト・ライン(断層線)に沿って紛争が起こるといい、

それらを避けるための結論を示している。

この本を読み終えて、中国や台湾の関係や、

日本との関係の文脈を読み解くと、

やはり台湾も中国も同じ文明であり、同じ民族である。

そういう観点から将来的には統一ありだろうと考えられる。

なくても、大きな紛争にはならないだろうと。

看板にある一国两制であれば、

どれだけ政治イデオロギーが違えども、心配ないだろうと。

しかし逆に言えばチベットやウィグルは今後も厳しいと言える。

文明も文化も違う、異民族であると考えれば、

漢民族との同化は難しいだろう。

それから何やりも同じ東アジア圏である

日中はどう考えられるだろうか?


ハンチントンは、本文の中での文明を8つに分類している。

西欧、イスラム、ヒンドゥー、スラブ、ラテンアメリカ、アフリカ、

そして中国と日本。

日本を一つの文明とカウントしている。

最近の尖閣問題は、フォルトライン(断層線)といえるのだろうか?

EUが統合できたのは、西欧という同じ文明を共有していたことが大きいと、

言うならば、数年前鳩山元首相が提唱した、東

アジア共同体構想どう考えるのか。


アジアユニオン→AUというのはありえるのだろうか?

日本と中国の間には、イデオロギー的にも

文明的にも隔たりはあるのだろうか。

私個人としては、日中は大きなビックピクチャーの中では

同じ文明であると感じる。(もちろん、日本は亜周辺として

独特の文化を形成したとも言えるが、)

私は中国に暮らして7年になるが、そんなものはないように感じる。

中国に来た頃は中国人の中に、

職場で私はたった一人の日本人であるという感覚が強かったが、

最近はそんなものはなく、中国の東北での生活が長かかったから、

東北人がいれば同族であるような気がしたり、

今は会社の中で本社に所属しているから、

本部の中国人と一緒にいたら

ここは現場で、俺は本部で、

その人と同族であるような気がしたりと、

あまり日本人であるという感覚がなくなってくる。

日本人というか、この人達とは別の民族であるとかは

感じない。

おそらくこれが西欧であればいつまでたっても

そういう感覚にはならないと思う。


充分に同じ文化、文明を共有していると、私は感じる。


顔だって、皮膚の色だって、ほとんど見た目は同じである、

漢字を共有し、皆以外思ったことも気を使って言わないとか

付和雷同的なものも持っているし、

儒教圏で共有した文化なるものもある。

私として日中両民族の多少の違いは

(これを多少とは思えない日本人は多いが)、

一人あたりのGDPの成長段階ですべて説明がつくでのは、

と思えるほど。


もちろん私の周りは、ホワイトカラー層の80年代生まれの

若い人達なので、もっと年寄りの中国の人や、

田舎の村社会などではその文化の違いを感じるかもしれないが。

充分に同じ文明内であるように思えるのだか。

本文の中で、アイデンティティーの追求によって

文明間の衝突が起こるとしている。

このアイデンティティーの追求とは自分は何者か?

を問うことであり、

自分という存在の意味を明らかにしようとすることと

言い換えられる。

それぞれの民族が、自己のアイデンティティを主張し、

自分の存在を他者にみとめさせようとするとき、

異なるアイデンティティを主張する相手との間に対立が生じる。

この対立こそが著者の言う

『文明の衝突』なのである。

そう!あまりアイデンティティーをおもてにださないことが、衝突をさける重要な要素であると。

同じだと思えばいいのでは!!思うだけでいいのではと!!
ここでも重要なのは他者との共感である。

アイデンティティーは、心のなかでしっかり自分でもってればいい。

これみよがしにひけらかさなくていい。そう思いました。

それから、この本はアメリカのえらい学者が書いており、だいぶ

西欧よりの視点で書かれており、

西欧文化の衰退をどのように対処するか?ということが

本文の大きなテーマになっており、その中で最後の方に

書かれていたのが、どうすれば西欧文化が衰退気味の中で

保存されるようになるか?ということに対して、8つの提案を

しているが、その中のひとつに、こう書かれています。

『日本が西欧から離れて中国との和解に向かうの遅らせること。』

(第十二章479ページ)

この遅らせること、というのは、もうくっついていくということは

避けられないと。

しかしそれをどれだけ、邪魔できるか?

今の日中関係の背後にはしっかり、この一文が潜んでいる。

それも、しっかり感じ取らないといけないとも思いました。


photo:03



そんなことを思いながら、

日差しの強い厦門の海岸線を今日も走る私であります。

今日はちょっとまじめに。。。書いてみました。