マキアヴェリの『君主論』を読んだ。
2004年に中国に来て、2006年から今の会社
で仕事をしだし、この7年で天津、大連、瀋陽、西安と4つの
分公司を立ち上げた。今では、これらの会社を既に離れて
遠く上海から、会社の様子を見守っているが、
市場シェアも高く、高い利益率もあり、順調に会社の成長は
続いているが、いつも思うことは、その時、その時に
しっかりと自分は、その会社のリーダーとして
適切に振る舞うことはできたのかと。
会社をどのような方向に導いていくか
理想と現実の葛藤の中で、どのように振る舞うか?
その振る舞いに、どのような文脈の中で、ありようを
見出すかを問う!!
そんな甘さと厳しさ、飴と鞭、そんな中この本を読んでみた。
マキアヴェリは1500年前後の人物で、日本で言えば
安土桃山時代。
そんな500年以上前の著書が、今でも色あせること無く
500年後のちっぽけな私の小さな経営のあり方に
語りかけてくる。
『決断力のない君主は、多くの場合中立の道を選ぶ』(第三章)
『何かを説得するのは簡単だが、説得のままの状態に民衆を
引きつけておくのは、難しい』(第六章)
『恩恵はよりよく人に味わってもうらうように、小出しにやら
なくてはいけない』(第八章)
『大事業はすべてけちと見られる人物によってしかなしと
げられていない』(第十六章)
『人間は恐れている人より、愛情をかけてくれる人を、
容赦なく傷つける』(第十七章)
『君主は、ライオンと狐に学ぶようにしなければならない』(第十八章)
同時代には、いくつかの王道の君主論というのもあったそうで
それに書かれているのは、
為政者は、何事にも謙虚で、平静な心を保つこと
その上に尊敬をそなえていなくてはいけない、とか
別け隔てのない領民への正義だとか、
中庸こそ為政者の理想の心構えだとか
マキアヴェリズムから言えば、綺麗事であると。
私は、稲盛さんの『生き方』とか、
ドラッカーの『マネジメント』とかを頼りにしてきたなかで
またこのマキアヴェリズムは衝撃的であった。
当時は、このマキアヴェリズムを権謀術数の書、
手段を選ばないなどと、曲解されていたそうだが、
私も、やっぱり好きのは中庸的なもののほうである。
それでも、マキアヴェリズムと中庸的なものの
間の葛藤を、その振る舞いの中に組み入れて
より場数を踏んで、成長できたらと思う。
- 新訳 君主論 (中公文庫BIBLIO)/中央公論新社
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なかなか、勉強になる本でございました。
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