毛沢東の背中を(旦那ken) | のん気夫婦の中国・天津・大連生活ブログ

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ken(夫)は、中国でのビジネスは中国での出産(天津ローカル病院にて出産)・育児話をメインに♪

今の季節はもう寒く、-20度以下の瀋陽なのだが


それでも秋ごろはまだまだ0度くらいの気温で


瀋陽出張時は朝ホテルの近くの中山公園を

朝ジョギングしていたのだが、


いつも中山広場から中山公園を走り


帰ってくるときは南回りで、ぐるっとまわって


ちょうど中山広場の毛沢東像の背中をみながら


帰ってくる。




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↑その瀋陽中山広場の毛沢東像


その背中をみながら、、最近はふと思う。。


この国を建国した、この男の背中をみながら。。


ふと思う。。。


この国の近代から現代にいたる歴史を。。。


ふと思う。。。


この建国者が思い描いたこの国の

その時の未来像と、そこから現代へと通じて

そして今天安門広場に眠るこの男が、見ている

この国の今の姿を。。。


そういえば、この建国者が亡くなったのは1976年9月


私はその7か月前に、日本で生まれている。


なんて、ふと思いながら。。朝のジョギングをすませるのだが。。


中国にきて、7年目を迎えようとしているのだが。。


日本の国の行く末も気になるのだが。。

この国の行く末も気になる。。。


最近は、中国の経済の本ばかりでなく、

やはりこの国の近代史現代史をしっかり学ばなくてはと

本を読んでいる。


もちろん、遡るときりはないのだが。。


やはり抑えておこなければならないの


1840年のアヘン戦争からであろう。。


この国の歴史的文脈をどのように考えるか。。


私なりに理解してみたいと考えた。。


1840年のアヘン戦争から。。。


中国は列強に食い荒らされる。。


ある意味、その中国があったからこそ


日本がスムーズに革命に踏み切れたのではと

私は思う。。。


中国を反面教師として、国が団結して変わらなければと


いう危機感が、日本にはあったと思う。


中国は、変われなかった。いやそのタイミングが遅すぎた。


またまとまるには、広すぎたのではと私は思う。


アヘン戦争から、アロー戦争、南京条約、太平天国の乱


北京条約、辛亥革命、義和団事件、日清戦争、満州での日露戦争


孫文臨時大総統、袁世凱による南京臨時政府、宋教仁暗殺


日本の21か条の要求、ヴェルサイユ講和条約、5.4運動、第一次北伐


第二次北伐、満州事変、上海事変、国共合作1次、2次、戦争終結


中華人民共和国成立。。。


この国の近代史は、外国にやられて、国内で団結し、また仲間割れして

内戦が起きて、また外国につけこまれて、また団結し、、そしてまた内紛が

おきて。。。それの繰り返し。。。


その広大の広さゆえに、この国は民主的におさめることがでいないのでは


そう思わざるを得ない。。。


近代以前の、清朝も明朝もずっとその前の王朝も。。


儒教を基盤とする、封建体制のなかで、その武力によりこの国を統治

してきた。。。


この広大な国の、多数の民族からなるこの国が、みんなの意見を聞いて

民主的におさめるなど、できるのだろうかとさえ思える。。


そういった歴史的文脈に沿ったうえで、もういちどこの国の現代をみつめて

みたい。。


つづく。。