昨日、シッターのしゃおじえを、空港まで家族みんなで
見送った。
私は仕事だったので、ちょうど昼休みだったので
会社から空港は近かったので見送りに行った。
3週間前に一度、旦那が倒れて天津に戻ったが
また戻ってきてくれた。
2008年2月24日、翔世が中国天津で生を受けた
その日に、しゃおじえは、病院にやってきた。
その日から、翔世の世話役として
こののんき夫婦の家にやってきた。
本当は1ヶ月間だけ24時間体制で助けて
もらうだけの契約で、派遣会社を通して
きてもらったのだが、
そのまま、延長、延長といいながら
とうとう2年9ヶ月間もの間
うちの家で、翔世と共に。。。。
シッターというよりは、もう中国のおばあちゃん。
名コンビの2人は、いつもマンション内の小区で
人気者だった。
いろんなことがあった。
そんなことを、走馬灯のように空港で
思い出すと、みんな涙が止まらない。
しゃおじえも、私も、aiaiも
そして翔世は、号泣で
また前の時と同様、
『しょーせーも天津に行く、行く』
別れと言うものを、教えたかったけど
そんなに聞き分けれれるものでもない。
ただただ、泣けばいいと思った。
私たち家族と、しゃおじえの泣いている
光景を、たくさんの空港にいる人たちが
みている。
また翔世の号泣も注目の的であったが
ただただ泣けばいいと思った。
私の中でも、翔世の中でもまだ天津が
終わっていなかったのは、
まだ天津から離れている気がしないのは
きっとしゃおじえがいたからだろう。。
そのしゃおじえが、去った今
何かひとつの章が終えた気がする。
ありがとう、しゃおじえ。。
翔世と付き添った2年9ヶ月。。
翔世の一生の宝物で。。
今翔世が話す、中国語は、すべて
しゃおじえの形見です。
最後にちょっと長いけど、生まれその日からの
翔世と私たちのんき夫婦としゃおじえの日々の
写真を。。。。。。。。。。。。


最後にしゃおじえは、言いました。
『「翔世の弟が生まれたら、また会いに来るよと。
ばいばい!!しょーせー!!』
素敵な出会いと、別れで、また成長した
翔世です。

