私は2003年7月の初旬に以前の会社を退職した。
社長との面会は1ヶ月先の8月2日に持ち越された。
私は、退職後かねてからの夢であった、ヨーロッパ旅行を
計画していたので、退職と同時に、旅立った。
タイ経由でフランス(パリ)をへ降り立ち、
その後列車で、オランダ(アムステルダム)、
オーストリア(ウィーン)、
ドイツ(ベルリン)
そして最後に、
デンマーク(コペンハーゲン)
からデンマークのとある田舎町、
スゥエンドボーグ
にたどり着いた。
なぜこの街が最終目的地であったかは、
後々においておくとして。。。
さて、タイ経由には理由があり、すでにその頃、H君が既に、
会社を辞めて、タイへ一足先に留学していたのだ。
自分より先に、会社を退職し、一足先へタイへ留学している彼の
モチベーション、今後将来の計画を語り合った。彼とは一緒に
何度かタイに二人で遊びにきたこともあり、彼を通じた
友達もいたので、ものすごく心地よかった。
私もタイは大好きで、過去に6回くらい来たことがあり、
もっぱら、山登りと、スキューバーダイビング
であったが、いい国だということは知っていた。
私の興味はタイから中国へと移ったのだが、当のH君は
中国嫌いであった。
タイに数日滞在し、その後フランスを旅立つのである。
ヨーロッパは初めてでなかった。私の生まれてはじめての海外旅行は、
忘れもしない19歳の冬、
ミラノ、フィレンツェ、ベニス、ローマ
のお得なツアー旅行であったが、初めての海外に感動し以後、
1人で海外を放浪するようになる。
当時aiaiとは、大学の中のいい同級生で、同じサークル、ゼミ仲間。
よく彼女の家に遊びに行ったこともあった。
もちろん友達としてである。
そのとき、aiaiのお母さんがこんなことを言っていた。
『いやあ、ken君はいつも、1人で外国に入ってすごいねえ』
『でもあなたと、一緒になるお嫁さんは大変やろうねえ』
と他人事のようにいっていたが、その10年後に
まさか自分の大事な一人娘がそこに嫁いで、
中国で暮らすことになるとは、夢に思ってなかっただろう。
もちろん、役所に結婚届けをだした後、彼女の実家へ挨拶
へ入ったとき、そのときのことを覚えていたみたいで、
まさか本当に一緒になるとはおもわへんかったわと
言っておられました。
いつも、旅するときは1人旅だった。
22歳の時には、アメリカ大陸一周を!!1.5ヶ月間かけての。。
当時、猿岩石、ドロンズなどが大流行したあの頃である。
若かかったあの頃は、特にその目的地への大きなこだわりがあるわけでなく
ただひたすら1人で、がんばって旅しているだけで満足だった。
英語なんか話せなくて、長距離バスで、バス停で寝たり、
スーパーで頭洗ったり、ごついアメリカ人に混じって、
1人でなんか小さなアジア人がこちょこちょやっていることだけで大満足だった。
感受性も豊かで、
ただその旅の風に吹かれているような感覚に酔いしれるのである。
安宿に泊まり、『俺はどこどこへ行ってきた』、
などと同い年くらいの若い人たちは自分と同じように自慢合戦である。
今思えば、みんな若い人ばっかりだったなあって思う。
ニューヨークハーレムの何番街まで行って来たとか、
国境越えはここだと安全だとか、
夜も更けるまで語り合うのである。
アメリカ旅行記はまた別の機会にして、さてパリに到着。
中国から話は大きくそれるのだが、ヨーロッパ旅行記の
記憶の糸をたどりながらつづってみよう。
2003年7月の夏の真っ盛りである。
最近スケジュール表を1時間毎に
朝の6時から夜の12時まで土日も
記し始めました。そこには何を食べたか
体重も。日々に計画性がでてきて、
充実した毎日がおくれています。
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