ここ最近、
オランダ語はおろか英語すら思うように出なくなった。
スランプだろうか…
主人のレネさんにも伝えたいことを思うように伝えられず、
理解されなかったり理解されるまで今まで以上の時間がかかったりしている。
そういう時は一気に私が不機嫌になってしまい、
八つ当たりとわかっていて文句を言う始末。
レネさんがいちばんの理解者であるはずが、
理解してもらえないとオランダ語も英語も自信がなくなり何も話したくなくなる感覚を味わった。
なんやろ…この感覚…
きっとこのスランプの理由はひとつではなく、
何かの積み重ねや偶発されたことによって起こったことだと思っている。
その理由の1つとして誰かに認めて欲しい、理解されたいという承認欲求がかなり高まったためだと私は自己分析している。
オランダ語学校時代に仲良しだった友達も
それぞれ自分の生活を基準にして時間は流れていて、
前ほど会える機会が少ない。
そういうときに彼らの生活が動き出したことに喜びを感じるより、
ひとり取り残された感じがして寂しくなってしまった。
私の前進については喜んでくれているのに、
友達の前進を喜べていない自分にも腹が立ち始め
なんて心狭い人間なんだと自分に対して思ったりした。
旦那さんのオランダでの駐在期間を終え日本に帰って行った心友とは今でも連絡を取り合っており、
離れ離れになった今でもお互いの心境や生活の変化について話したりする。
彼女は6割の言葉で私の10を理解できる人である。
レネさんですらそんな芸当はできない。
同じ感覚でたくさんのことを共有できる人に人生でそんなに出会えない。
私は本当に彼女に会えて幸運だと思う。
彼女は私のことを日本で友達に自慢していると言ってくれた。
オランダ在住2年で数分ながらテレビにもオランダ語で出演してるねん!
すごいやろ!と話してくれているらしい。
嬉しくて涙が出た。
人に誇りに思われるってこんなに嬉しいことかと改めて実感した。
そんな心友に会いたいと、
人生で初めて心から友達に会いたいと泣いた今日は記念日である。
会えずとも友達の幸せを願える。
そんな普通のことが大切だと再認識できた。
オランダ語学校時代の仲間とも、近いうちに集まれたら思いっきり楽しい時間を過ごしたいと思う。