1年の海外生活からの、帰国。
2011年3月15日
成田空港へ帰国。
3月11日に起きた東日本大震災(帰国当時はまだ地震に名前はついていなかったけど。)の影響で、
ガソリンの輸送ができなくなり、空港からのリムジンバスやタクシーは営業停止していた。
成田から東京への京成電車は、3月14日から一部運行を再開していた。
静まり返った、帰国者が一部降り立つだけの空港は、なんだかものすごい違和感だった。
久しぶりに、日本のお金を取り出して、財布の中のユーロと入れ替えた。
旅の途中、日本円をたまに取り出してみると、なんだかおもちゃ銀行のお金のように見えた。
でも帰国していざ日本円を使おうとしたときには、その日本円はちゃんとお金に見えた。
細かいところで、私の感覚も日本に戻ってきた。
昨日まで使っていたユーロ。
5ユーロ札の青色が、なんだか非現実的に見えた。
とても不思議な感じがした瞬間だった。
当時住んでいた練馬区の自宅まで、普通に電車に乗っていくと1時間半ほど。
その電車が余震のたびに何度も停まり、
乗り換え駅では節電のためにエスカレータやエレベータが停止していて、30キロほどの荷物をすべて階段を通って持ち運ぶ。
都内の電車も本数を減らして運行していた。
幸い、帰宅できたが、西武鉄道は23区外はまだ運休状態だった。
成田から練馬まで、およそ3時間半かけて帰宅した。
最寄駅から家までの道のりの、お店はほとんど閉まっていた。
コンビニエンスストアの看板の照明は消えていて、
棚は並べる商品が少なくがらがらになっていた。
家のドアのカギを開けて荷物を部屋の中に入れると、
涙が止まらなくなった。
1年前にイギリス留学に向けて出発した時に思い描いていたのとは、
まったく、全く違う帰国だった。
まったく、全く違う東京だった。
まったく、全く違う自分だった。
家のベッドに1年ぶりに横たわっていても、何度も何度も余震が来た。
帰国した日。
震災後の東京で、海外にいた自分と今の東京との間にある、越えられないものの大きさを感じて、
そのことの怖さや寂しさや言葉にできない感情があふれてきた。
1年間という時間の重みと、その1年間を海外で新しい出来事に囲まれて過ごした私と、日本で待っている人との温度差を、その大きさを突き付けられた。
ずっとずっと泣き続けた。
1年間が終わった、その終わりがはっきりと見えた日だった。
成田空港へ帰国。
3月11日に起きた東日本大震災(帰国当時はまだ地震に名前はついていなかったけど。)の影響で、
ガソリンの輸送ができなくなり、空港からのリムジンバスやタクシーは営業停止していた。
成田から東京への京成電車は、3月14日から一部運行を再開していた。
静まり返った、帰国者が一部降り立つだけの空港は、なんだかものすごい違和感だった。
久しぶりに、日本のお金を取り出して、財布の中のユーロと入れ替えた。
旅の途中、日本円をたまに取り出してみると、なんだかおもちゃ銀行のお金のように見えた。
でも帰国していざ日本円を使おうとしたときには、その日本円はちゃんとお金に見えた。
細かいところで、私の感覚も日本に戻ってきた。
昨日まで使っていたユーロ。
5ユーロ札の青色が、なんだか非現実的に見えた。
とても不思議な感じがした瞬間だった。
当時住んでいた練馬区の自宅まで、普通に電車に乗っていくと1時間半ほど。
その電車が余震のたびに何度も停まり、
乗り換え駅では節電のためにエスカレータやエレベータが停止していて、30キロほどの荷物をすべて階段を通って持ち運ぶ。
都内の電車も本数を減らして運行していた。
幸い、帰宅できたが、西武鉄道は23区外はまだ運休状態だった。
成田から練馬まで、およそ3時間半かけて帰宅した。
最寄駅から家までの道のりの、お店はほとんど閉まっていた。
コンビニエンスストアの看板の照明は消えていて、
棚は並べる商品が少なくがらがらになっていた。
家のドアのカギを開けて荷物を部屋の中に入れると、
涙が止まらなくなった。
1年前にイギリス留学に向けて出発した時に思い描いていたのとは、
まったく、全く違う帰国だった。
まったく、全く違う東京だった。
まったく、全く違う自分だった。
家のベッドに1年ぶりに横たわっていても、何度も何度も余震が来た。
帰国した日。
震災後の東京で、海外にいた自分と今の東京との間にある、越えられないものの大きさを感じて、
そのことの怖さや寂しさや言葉にできない感情があふれてきた。
1年間という時間の重みと、その1年間を海外で新しい出来事に囲まれて過ごした私と、日本で待っている人との温度差を、その大きさを突き付けられた。
ずっとずっと泣き続けた。
1年間が終わった、その終わりがはっきりと見えた日だった。