47年前、と言えば1976年。
はて?何があったか、もう忘れ去られていることと思う。
そのまた4月13日とは?
蒸気機関車が姿を消した昭和51年の春、1か月前に最後のクラとなった追分機関区で火災が発生、扇形庫が焼失した。
昭和の時代の「機関庫」らしい基地であり惜しまれた。
石炭列車を始めとして構内で煙が絶えることなく、ひっきりなしにカマが出入りしていたものだ。
ここで写した人は多いだろう。
蒸気機関車引退直後の出来事とあって当時は「SLの怨念」などと言われたものだ。
投入直後のDD51とDE10も被災し、何とも複雑な思いにかられた。
たまたま今日はその日にあたる。
追分の基地も今はなく、広い構内は更地になっているようだ。
以前訪ねたところに行ってみるのも有意義だけど、わびしい姿を見たくない気持ちも強い。
被災したカマのうち、D51 241の写真を見つけた。
なつかしいカマの姿を偲んでみたい。