yesterday once more

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東北発。コレクションと旅日記です。

 この組み合わせはありそうでなかった。晩年の仙台駅では宮城野(現、仙台貨物ターミナル)に向かうためにスイッチバックするだけだったし長年所属した福島では福島駅に進入する時に新幹線を望めただろうか?

 ここは長町機関区。ED75をスナップしようとして訪れた。驚いたことにED78がいる。当時は東日本会社所属のカマがなぜ貨物会社の基地にいるのか?

 ちょうど背後に東北新幹線の線路が見える。時間になれば200系がやってくるはず、と少し待った。新幹線の仙台以南は本数が多いのですぐにやってきた。小さいけど並んだところを撮影。

週末間近なED78のいい記録になった。

 

 

 

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 仙山線のED78終末期の頃、早朝に3本の下り貨物がやってくる。それをねらって出かけた。

さすがに重連は迫力がある。板谷峠で聞いたあのモーターのうなりが近づいた。3本写す間に光線状態が変わってくるのと同じフレーミングではもったいない。思い切って流すことにした。車体がギラリと光った瞬間にシュート。

流れ方で2両目の台車にシンクロしたので100点ではない。それでも雰囲気が出せた。リスキーな場面でもチャレンジする姿勢は大事にしたいと思わせる絵になった。

 

 

 

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 陸西にはだいぶご無沙汰になっている。

煉瓦造りのトンネルや最上川、鮭川との取り合わせなど魅力的なポイントはあるのだけど地味な雰囲気がある。さらに近年全線で運休していたこともあって縁遠くなっていた。わがふるさとに近いのに冷たいものだ。

「ヨンマル」がいた当時は何度か訪れた。ほかのファンに会うこともなかったが。

 今朝の新聞に注目すべき記事が載っている。JR東日本が沿線自治体との協議の場で陸西で運転されている日中時間帯の2往復についてバス転換したいというもの。酒田市長はこれを批判している。

 批判するのは立場上理解できるが論調がずれている。「(県庁所在地の)山形市と第二(鶴岡市)、第三(酒田市)の都市が線路でつながっていないところがほかにあるか?」というもの。

やっぱり変だ。別に廃止すると言われた訳ではない。列車とバスの共存は山田線や気仙沼線でもやっている。乗客が少なければ経営上ひとつの策だ。酒田市長は陸西に乗ったことがあるのだろうか?

 まあ今回は事務レベルの会合だったというから「そういう考えもあるね。」というジャブだろう。

それでもコロナ禍以前の業績に戻らないJR東日本にとってお荷物には違いない。新庄・酒田間の高規格道路もいずれ全通する。

その時に陸西にどのくらいの乗客が残ってくれるだろう?

 この文章タイトルだとまず酒田市長から怒られそうだ。

 

 

 

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 もうすぐ「まご」がやってくる。

当家ではプラレールが動態保存されており、昨日試運転。

新幹線よりC12の方が速かったりするけどみんな動いた。それにしても懐かしい形式だ。まごが共感してくれるか、来週には答えが出る。

 

 

 

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 前日までの羽越本線つながりということで。

間島駅。撮影ポイントがあったかと思われそうだけど隣の村上駅との間で三面(みおもて)川の橋梁や岩崎海岸がある。また、技術的な面で交直セクションがある。新津から羽越本線で北上して最初に海沿いに出るところだ。

 自分は撮影の合間にできるだけ最寄りの駅に立ち寄ってスナップする習慣がある。木造駅舎を写し込んだりするところまではいかないが個性のある建物は楽しい。

ここ間島は瓦屋根だ。今どきだから本物の重たい瓦ではないだろうが珍しい。北に行った勝木駅でも見かけたから旧新潟支社での仕様なのかも知れない。何だかなあとモヤモヤ感があるのは、これを赤瓦にしてシーサーを載せたら沖縄になるようだ。

無人駅にしては立派でなおかつ個性的な駅だ。

 

※撮影は2018年。

 

 

 

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 昨日、ハチイチの日などと語呂合わせした。多くの方々に参照していただき感謝にたえない。それで調子にのって今日も酒田から。

 最初にネタばらしをすると元は昨日と同じモノクロ写真。それをAIでカラー化したものだ。実は個人としてEF81には思い入れがあり懐かしさのあまり過去に戻りたくなった。

 自分でも「ウワッ」となる絵になった。どんな写真でもそれを眺めると対象だけでなく背景となる思い出が蘇ってくるものだ。

今は昭和。幼馴染と一緒に酒田機関区を訪れた。蒸気機関車時代と違い撮影など許されないと思っていたのが事務室でお願いすると職員さん立ち合いのもと入構を許された。喜び勇んで写しまくる。本当はここでD51を写したかったのだけどそれも忘れた。

羽越本線の要衝としての存在感を味わえた。新製直後のローズピンク、銀帯、白Hゴムの機関車はこんなに美しかったのかと。

それなら機関車に「日本海」「つるぎ」のヘッドマークを付けたい誘惑にかられる。ただそれはいけない。勝手な解釈で「再現」は良くても事実に反することはまだやってはいけない。(時代が進めばどうなるか?)

今日のところは「そんな時代があったのだ。」ということにとどめておきたい。

 

 

 

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 1972年に羽越本線が全線電化された。変則的だったが電化工事完了は8月5日、電化開業は10月2日である。これによって「日本海縦貫線」の近代化にひと区切りついたことになる。同時に秋田、酒田、坂町、新津に大量に配置されていた蒸気機関車が引退し電気機関車が進出した。

 これは酒田機関区に集結したEF81。D51、C57から引き継いで客貨に活躍した。写真はモノクロだけど、そのローズピンクの車体は華やか。構内が明るくなった。しかしながら酒田機関区としてのEF81は1985年に配置がなくなりその後富山のEF510が運用を担当することになった。あれだけの配置があった羽越本線は今やわずか38両のEF510でまかなわれている。その時代の流れの速さには驚くばかりだ。たくさんの機関車とそれを支えた人たちはあれからどうなったのだろう?

広い構内をただ風が吹き抜ける。

 

 

 

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 夏の表現はなかなか難しい。冬なら雪、春なら花、秋なら紅葉という添景があるが、夏は緑の濃い山野というだけで「らしさ」を求めて歩き回ることになる。線路端にひまわりが咲いている場所などそうそうない。

 ちょうどルドベキアの花を見つけた。外来種のようで生命力旺盛。濃い黄色で夏らしい。その後ろをED78が通過して行った。

 

 

 

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 蒸気機関車現役末期の頃、機関区脇の留置線などに廃車となった機関車が並んでいたことを思い出す。

そういう姿は、長い間の活躍に対して労をねぎらう気持ちと、反対にそれを見たくないという思いのいずれかでありそれぞれの考えが雑誌に載っていたものだ。

 自分は全く違っていた。「遅れて来た世代」であり身近なところでは会津のC11と入換のC58を写す機会しかなかった訳であり、雑誌でしか見たことのない形式がそこにある。たとえ錆びていたとしてもひとつでも多くの形式を、と思っていた。まあ中学生だから。最近では大きな変革がないのでそういう情景を見かけることがなくなった。電車でもさっさと解体してしまうようだ。

 これは地方私鉄である「くりはら田園鉄道」の若柳で写したもの。福島交通から譲受したモハ5318だったか、同線の非電化化に伴って短期間で用途廃止となり若柳駅の片隅で通学生のための自転車置き場となって使われていた。

さすがに塗装も色褪せ、ひび割れが目立っていた。高校生の時にこれに乗って通学した身分としては悲しさ半分、怒り半分。なぜか懐かしいという感情は沸いてこなかった。要らないなら解体すべき。中途半端はよくない。そんな気持ちを込めてスナップ。

 

 

 

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 最近、スマホでAI編集した鉄道写真をよく見かける。(この場合は「生成」ではなくあくまで「編集」である。つまり「元」があってそれをいじる場合の話。)

皆さん慣れているのかとても自然で現役時代の蒸気機関車があたかもついさっきデジカメで写したようにナチュラルだ。

この趣味をフィルム時代から40年以上やっている身としては「作成」は抵抗感がある。それをやっていいのかという引っかかりと、どんなテクニックでやればいいのか疑問点だらけ。それでとりあえず「編集」から。

 1974年に渡道したのでその時写したものをディジタイズしてある。「元」は懐かしいトライXだ。スキャンした時はコダックのpcd形式である。

これを読み込んでいったんjpg形式で保存。それをAIを実装したソフトで読み込む。アドビ社の5枚だけ使える試行版で。

プロンプトの書き方はまだ不慣れ。とりあえず「カラー化したうえで蒸気機関車の黒とディーゼル機関車の赤を忠実に再現」としてみた。慣れた方からは笑われるだろうけど。

 結果は上記のとおり。全体的にはまあ期待どおりかな、と思わせた。それでもナンバーがおかしい。C55 30のはずが「CSS 20」になっている。DD51にいたっては意味不明。AIは頭が良すぎるのかな? プロンプトには「ナンバーをそのままで」と書かないといけなかったのか。

 たった数分でここまで来れるのだから将来的な楽しみができたというべきか。あの日の宗谷本線和寒はこうだったのかなあと想像してみる。別な視点で言えば、いろいろ考えるから認知症の回避にはいいのかと思ったりしている。高齢になって撮影に行けなくなった時の楽しみになっているかも知れない。

 

 

 

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