庭坂から直進した線路が右にカーブしながら勾配にかかる。
有名な庭坂の大カーブである。
ここで当時400系を写した。
山形新幹線の初代の車両。
山形県民の夢をのせて走り始めた。
新在直通ということでJRの負担を軽減させる目的で、第三セクターの会社が車両を保有してJRにリースした。
在来線で新幹線車両を写せることになったが、これがなかなか難しかった。
写真のようにテカリがすごい。
晴天の時は露出に気を遣った。
この車両は東北新幹線内を240kmしか出せないのがネックとなり、その後引退した。
自分にとって、「キハ181系」、「485系」に続いて3代目のモチーフだった。
新トンネルが調査区間どおりの設計となれば、ここを登る姿も見られなくなる。