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明日の風に吹かれよう

日々の気づきを都度書き留めていこうと思います。テニス仲間に支えられて、楽しくやっています。感謝感謝です。


僕は今でも浜田省吾の曲を聞きます。彼は10代の時に故郷の広島から上京しました。決して順風満帆ではなく、売れるまで、売れてからも波あり谷ありだったと思います。

彼の曲には、車、オイル、汗、労働者の匂いがプンプンして、若い頃には歌声とともに元気をたくさんもらいました。でも、本当は彼の心はとても繊細で、聞いていると悲しくなるようなさみしくなるような曲もたくさんあります。そんな彼自身の裏悲しさを吹き払うような曲もたくさんあります。彼の声はよくとおり、そして少し割れていて二重の音を発していると思います。聞けば彼とすぐに分かります。

彼のスタイルが僕は好きです。ジーンズに白のティーシャツ姿で、飾り気がありません。僕も学生時代はほとんど同じ格好です。シンプルですがおしゃれだと今でも思います。若さが弾ける青春時代だからこそ、その生命力さえあれば、服装はシンプルでも、シンプルさが逆にその人自身を浮き上がらせていたような気がします。僕は、今も普段はジーンズです。7本持っています。やはり501が1番好きで3本あります。でも普段が少なくて履いている時間はとても少ないと思います。

浜省はいつもサングラスをかけていて、僕は彼の素顔を知りません。今 髪はロマンスグレーになったけれど、彼は僕の青春だし、心の支えです。彼の曲を聞くと予備校時代、学生時代、社会人なりたての時を思い出します。いつまでも彼には、元気に歌い続けて欲しいと思います。

「ラストショー」は僕の1番好きな歌、「さよなら、バックミラーの中にあの頃の君を探して走る」うるっとくる歌詞です。

「防波堤の上」ではさびの部分「悲しいほど自由、防波堤の上、車の窓から、見下ろした時」を口ずさむと下総中山寮での自分を思い出します。

「ダンス」では刹那な言葉の嵐「日々がお前を押し流そうとする夜」や「ビール片手に明日を待っていた」、「失意がお前を押しつぶそうとする夜」などに僕の心はみずみずしさを取り戻します。確かに青春だったなと思います。

僕は東京での予備校時代、京都での学生時代、そんな時間をくれた親に感謝しています。素敵な青春時代だったと思います。感謝しているからこそ僕は今でも心にみずみずしさがあるんだと思います。大切にしていきたいと思います。

みなさんが思い浮かぶ曲は「もう一つの土曜日」かな?結婚式でよく歌われていました。長渕の「乾杯」と同様に。



昔、スタンドバイミーという映画があった。少年4人が街を飛び出し旅に出る。金なし、線路沿いにひたすら徒歩での旅だ。甘酸っぱい青春の香りがして今でも、その渇いた、そして切なさを感じ、心が潤ってくる。渇いたことが多い時代だけど、僕の心はみずみずしい。あの頃から時間がだいぶん経っているけれど、僕は青年の心をいつまでも忘れないし、でも前向きでいたい。

その中の1人にリバーフェニックスがいた。その素敵な名前に負けず端正な顔立ちだった。夭折だったが今でも僕の心には、彼は生き生きとしている。もう一度スクリーンで彼を見たいと思うんだ。

スタンドバイミーから




あなたも、彼にもう一度会いたくありませんか?
今年も僕の家の庭のあちらこちらに寒アヤメが咲いている。青紫色の花びらはとても優雅です。色彩がさみしくなるこの季節にパンチの効いた存在感を示してくれています。花言葉は良い便り、今年も変わらず咲いてくれるその姿が、今年も健康で迎えられた自分自身が良い便りかと思います。
なかなか複雑で難しい時代になり、健康を維持するのも難しいです。でも、来年も健康で迎えられるように努力したいと思います。

1月は自治区の仕事に忙しく、土曜の夜のスクールに振り替え参加していましたが今日が最後。300回サーブしても疲れないというコーチのクラスでやっとサーブ練習がありました。振り出し時にラケットが下がっていないと指摘を頂きましたが、ほぼぼぼ今の感じで間違いなさそうです。ひじの位置の指摘もなかったので脇を開ける考えは僕に当てはまったようです。癖を直すのは大変でしょうが、頑張って克服していきます。

今日はガットの張り替えをお願いしてきました。僕の愛用ガットはAKプロ16のブラックです。打感が良いし弾きも良い、もう6年くらいは使っています。vコアのブラックに良く合うんです。
ついつい無駄?な買い物をしてしまいます。僕はテニスシューズを4足持っています。

なかなか履かなかった、履けなかったものにアディダスのバリケードがあります。何年か前に買ったものですが、今年から履いていっています。テニスプレーヤー ツォンガモデルです。色が鮮やかで靴だけが走り回っているように見えるのが、まあご愛嬌でしょうか?

ウエアを黒や無地にして地味にして色のバランスをとっています。

僕のお気に入りの色は紫、黒、そして緑です。

このシューズの色はちょっと目立ちますが、鮮やかな色に心踊ります。


本日夜にスクール。コーチにサーブを見てもらったら、まだまだぜんぜんひじの位置が低いということでした。くせがついてるなー。直すのに時間が努力が入ります。でも今年は必ずマスターします。涙 新しい発見はひじを上げるには、ひじを上げるように意識するのではなく、脇を開けようとすること、ひじは上がっていると思う僕もちらっと脇を見るとしまっている。これはイコール ひじが肩より上がっていないと素直に感じました。さあ土曜日もテニス、前向きに努力しよう。
ヨネックスから新しいイーゾーンが発売されました。僕は、105インチのデカラケが欲しいです。ダンロップの青リムを思い出します。あのラケットは本当に良かったです。
ひさしぶりにテニスのことを書く気がします。テニスは丸10年やっていますが、サーブは進歩から取り残された感じがしていました。が、しかし今年の僕はひと味違います。笑 正直スクールのコーチはあんまり教えてくれません。そのかわりに単発のサーブ講座を設けて稼いでいます 笑笑。商魂たくましい、半分はできる人へのやっかみです。
でも、それはさておき今年の僕は少し違います。サーブの基本は、やはり体の自然な動き、そしてボールを打ち終わるまで、ひじの位置は肩より高く、そしてひじから先にボールをとらえにいくこと、それだけです。たくさんのユーチューブを見て、いくつかのサーブのDVDを購入し、たどり着いた僕の答えです。細かいことはいろいろありますが気にすることはありません、それ以外は肩の柔らかさです。年々肩の動きは悪くなりますが、ここが柔らかくないとスムースな打ち出しができないし、肩を痛めます。今年に入りユーチューブ直伝の肩のストレッチを風呂上がりに毎日やっています。凝り性なんです。すると少しずつですが、肩の可動域か広がってきました。サーブ時に振り抜いても動いてくれます。嬉しくなってきています。
サーブはテニスの醍醐味です。野球で言えばピッチャーが球種を選択し投げるようなものだと思います。野球はやっていたし大好き。サーブも好きになりつつあります。残念なのは、スクールでは最近サーブの練習をまったくやってくれないことです。でも、良い報告ができるようにめげずに頑張ります。
僕の下宿の近くには宇治川が流れていました。言わずと知れた琵琶湖が水源です。しかし、移り住んでまず思ったのが「水がまずい」です。しばらくは馴染めなかったです。

でも三条には安藤忠雄が設計したタイムズがあります。安藤の特徴ですが、彼の建築のそばには必ず水があります。土地柄、その水が高瀬川、まーなんとも風情のあることだと思います。僕は建築が好きです。生まれ変わったら建築家になりたいと思います。僕は、服は山本耀司が好きです。京都の建築家に高松伸がいます。僕は彼も好きです。彼の好きな服は、当時コムデギャルソンでした。彼の書いた書物で知りました。日本を代表するブランドです。京都に住んでいる時、高松伸の建築を見て回りました。自分の住んでた伏見の近くには、怒られるかもしれませんが、変わった歯医者さんがありました。でも、幾何学的で、連続性があり、どこかこうばっぽくて洗練されていて好きでした。いつか、ずっと言い続けいるのですが、彼の故郷島根に一度行って見たいと思っているんです。
僕は、学生時代に伏見区の弥栄荘に住んでいました。大学でまかないつきの住処を探していて斡旋され決めました。風呂、トイレが共同だったので生活していてすぐに様々な人種がいることが分かりました。全員日本人なのですが、予備校生や無職の人、僕みたいに学生、美容師の専門学校に通う女性、最後に1番まとも?な社会人と。風呂入っていて洗髪している時など、前が見えないから内気な僕は正直怖かったな、悪い人なんていなかったんだろうけど、なんか訳ありかな?と常々思っていたからでしょうか?

食事は結構楽しみで若いからついボリュームも期待していたのですが、ある日夜に焼きそばが棚に並べてありました。正直えっマジ?と思ったのを今も覚えています。また、食堂で住人と鉢合わせになると話す内容もないし、気まずかったな。生活環境って大事だとこの時につくづく感じました。時々行く銭湯が良い気分転換になっていましたが、この銭湯も弥栄荘もありません。存在が思い出になってしまうと、急に存在感を増します。京都に行って立ち寄っても、そこにないと自分の存在感を否定されるような気分になります。時が過ぎるというのはこういうものなのでしょう。

でも京都は学生には優しい街で、世話になった行きつけのヤマザキパンのおばさんは、僕によくパンをたくさんただでくれました、但し期限切れだったけど 笑笑。家庭教師先のママさんもパン屋さんでよくお店のパンを帰りに持たせてくれました。また、時に食事をご馳走になりました。俺んところで働きなとバイト先として雇ってくれた人もいました。いろんな人に支えられ、可愛がってもらっていたなと思います。

そんな人たちに感謝して、明日も真っ直ぐ誠実に、そして一生懸命生きようと思います。