愛染恭介のやぶからぼう日記 -9ページ目

石巻


それから強行的に石巻に向かった。
訪れたい場所があったのだけど、
時間もなく、素通りすると決めた。
行く意味も持たずに、ただ3年経った今の石巻がどんなか見たい、ただそれだけで。

今回の旅とは関係ないけれど、石巻出身の鍵盤弾きあゆみちゃんのご実家は
2階建てで一階は津波で浸水。当時家に居たご両親は2階に逃れ、
たまたま2階にあった冷蔵庫の食料でなんとか津波が引く2週間近くを
しのいだらしい。ことをたんたんとニコニコ話すあゆみちゃん、
Hard Times No Moreで素晴らしいピアノを弾いてくれた。

電車で塩釜から松島海岸、そこから先は代行バスで矢本駅まで。矢本駅から石巻
まで再び電車。矢本駅の上空を低空で自衛隊ブルーインパルスがびゅんびゅん
演習を行なっていた。ジェット機というものは真っ直ぐ空気抵抗を微塵も感じさせなく
飛んでいるのかと思いきや、あんな間近で見ると、若干風に逆らいつつ微妙な蛇行だった
ので恐ろしかった。駅員は微笑ましく眺めていたが、
あんな爆音を毎日聞かされていたら、絶対ストレスになる。

石巻到着。この日は全国的猛暑日で、この地の灼熱も容赦ない。
汗だくで歩くが、街中人が少ない少ない、塩釜より寂しい。
爪あとがあちらこちらに残っている。
それでもかなり、整備されてきたのだろう。
旧北上川に沿って海沿い近くまで歩く。
護岸工事に携わる人意外、人は見かけない。
海に近づくにつれ、突然廃墟や更地が現われる。3年経って廃屋がそのまま
なのは引き取り主がいないのだろう。
さらに先へ進み、海が遠くに見える更地のとある角の道を折れると、
向こうの方に囲いもなくお寺がぽつんとある。
その前に墓石が立ち並ぶ。
お寺の前まで来ると、立っていた墓石の前にはなぎ倒れたままの大きな墓石や墓碑が
仰向けになっていた。立て直して欲しいと頼む人がいないのだろう。
さらにその道の先には
夏の太陽を浴びてぎらぎらと黒光りする真新しい墓石群が、
みな海のほうを向いて立っている。立っている。
おびただしく新しい墓石が立つ更地に思わず足がすくんでしまった。
物見遊山といわれようが、なんであれここまで
引っ張られてきたような気がする。
そっと手を合わせ、引き返してきた。波来の地。

塩釜



自分の記録としてのブログを再開しよう。

8/21塩釜に向かった。

中学生卒業旅行(休んでばかりの中学生だったくせに)として、
友人の竹さんに付き合ってもらう形で、引っ越した初恋の人を追いかける
形で塩釜に行って以来、実に30年ぶりだ。
初恋といっても、ろくに口が訊けなかったので考えてみれば
当事者ははたと今頃気付く、これはストーカー行為だったのだろう。

どこをどう歩いたのかさっぱり覚えていない。
ただしっとりとした静かな港町という印象を頼りにしていた。
仙台から松島の雄島で一休み、
塩釜に着いたとき、滝のような驟雨にやられ駅で雨宿り。
少し上がったところで、塩釜神社へ向かう。
東北とは云え、この日の高温と湿気とときどき降られる雨でシャツはびしょびしょだ。
お参りを終え、長い長い石段を下りていくとゲリラ雨に襲われ、
一番下の敷地には地元の野球部らしき高校生たちが真っ黒に日焼けした肌をさらして
雨をものともせず談笑している。
わたしは向かいの軒先に駆け込んで雨宿りした。
するとそこのベンチに若きホームレスが座っており、こちらを
一瞥すると、少ーし移動して席を空けてくれた。
一緒に座るのが嫌やなのではなくて、狭いベンチに男同士座るのが
恥ずかしい。野球青年たちがこっちを見てニヤニヤしている。

もしこの町で生まれ育ったら、ということをよく旅先で考える。
登校拒否もせず、あの高校生たちのように野球部に入り、
夏は塩釜神社の石段を駆け上る猛練習に勤しみ、
やがて車を乗り回すようになり仙台でデートしていただろうか。
いや、どう考えてもこのホームレスの方が近いだろう。
自分の居場所がきっとなかったに違いない、などと勝手なことを考え
小雨になったところで、歩き出した。
途中小さな御釜(おかま)神社は通り過ぎてしまった。
塩を作る神器としての塩釜が4つ祀られているという。
雨ざらしになっている神器の水は、一年に一回海水を汲んで取り替えられる
らしいが、日照りの日が続いても枯れることがなく、雨の日も釜から水が
溢れることが無いという。その釜の水が凶事吉事の前兆として変色する、
その記録も残されている、という道の記述を読んだ。
ここの地名「塩釜」はこの神器が由来らしい。

夜入った鮨屋の親方に30年ぶりにこの地を訪れた旨を話すと、
塩釜、松島界隈は全然変わってないでしょう、と言った。
そうですね、と相槌を打つも何も分かっていない。
他の地、石巻なんかに比べるとこの辺りの復興は早かったようだ。
警報があってから津波が来るのに1時間はかかったので多くの人が
逃げて助かったという。街中は半壊、この鮨屋辺りには津波1.6m.
店は残ったが塩水で冷蔵庫が全滅。4ヶ月かけて冷蔵庫を調達、
ネタは冷凍しかなくて常時1種の握りだけで営業再開。
ボランティアや解体屋さんに振舞っていた。
北の魚はやはり旨い。地元の酒に酔い、
会計を済ませるころに親方が「この辺は飲み屋街だから気をつけてね」
とにたりとした。出て散策をすれば分かる、
飲み屋街の9割5分は中が覗けないスナック。
角を曲がるたびに運転代行業の車があちらこちら待機している。
旅の恥は掻き捨ててスナック?と思ったけれども、どうもその気になれない。
結局宿で独杯。
その日見た車窓からの田んぼ、町、歩いていった港、驚くほど人がいない。
平日といっても観光客も少ない。皆どうやって生計を立てているのだろう。

もっと東京人はオリンピックに胸躍らせていないで、塩釜で寿司三昧し、
スナックめぐりをすれば良い。

7月、10日くじら雑技団、17日東京琉球館ソロライブ!

先日の谷保、かけこみ亭での館野公一さんとのライブ、
楽しかったし、館野さんの歌語りに刺激を受けました。

今週にはすぐの木曜に高円寺VAMPにおいて、韓国ロックを演奏する
くじら雑技団にてギターを、歌も一曲やっちゃいます。キム・グァンソクの歌を。
課題が多くてくらくらします。

そして次の週には・・・前回好評を頂いた東京琉球館でのライブ、第二弾です!
またもやゲストに俳優の飯原道代さんをお招きして、
3月とはまた違った内容・雰囲気を楽しんでいただけるように致します。

なまけものの私にはハードな日々が続いてお腹がショートしてしまいました。
しかし大腸のアドバイスを久しぶりに聴き、
呼吸を整え、天に向かって意味なくわははと笑う夜です。

東京琉球館は、とても大好きなお店。
沖縄食材を買うついでもよし、陽子さんの美味しい打ち上げ料理をアテにするもよし!
皆様と楽しみ、飲みましょう!


2014/7/17(木) 18:30open 19:00start

予約¥2500 当日¥2800(1ドリンク付き)

会場・東京琉球館 03-5974-1333
   東京都豊島区駒込2-17-8 1F
   (山手線駒込駅東口改札を左へすぐ左折。
    そば屋とパン屋の間を直進、突き当たりを右へ、
    駅から2分半。南北線4番出口から右へ、坂を下る、2分)