第四回PPP作戦
恒例となりつつあります、このイベント
またまた参加させて頂きます。
地道に続いておりますが、お客さんも増え、
内容も充実しつつあります。
第四回PPP作戦~PPP(Poor Power Project)
11/3日(土)お昼12:00頃から~
飲んで、食べて、東日本大震災の被災地を支援しよう。
福島の原発事故による被害を受けてる動物たちは、野良化が進み、
今もキビシイ状況が続いています。今回もやはり、そんな動物たち
の保護にますます力を注いでいる「にゃんだーガード」に資金提供したいと
思っています。
会場ではにゃんだーガードで保護された動物たちの写真を展示。
15時からはライブ(私ではありません)もあります。
ワインやら料理やらが並ぶ「バル」が登場、
愛染もなにか(おそらくまたピクルスでしょうか)で参加します。
日時/11月3日(土)12:00頃~20:00頃まで
場所ペグハウス
連絡先/中山Tel.03-5397-5297
森谷Tel.03-5397-5298
ペグハウスhttp://peguhouse.exblog.jp
場所はJR阿佐ヶ谷駅と荻窪駅の間くらいの住宅街にあり。地図はすみませぬ、
ペグハウスHPよりご確認ください。
おそらく人数分の室内履きがご用意できません。
恐れ入りますが、各自室内履きをご用意くださいませ、とのことです。
またまた参加させて頂きます。
地道に続いておりますが、お客さんも増え、
内容も充実しつつあります。
第四回PPP作戦~PPP(Poor Power Project)
11/3日(土)お昼12:00頃から~
飲んで、食べて、東日本大震災の被災地を支援しよう。
福島の原発事故による被害を受けてる動物たちは、野良化が進み、
今もキビシイ状況が続いています。今回もやはり、そんな動物たち
の保護にますます力を注いでいる「にゃんだーガード」に資金提供したいと
思っています。
会場ではにゃんだーガードで保護された動物たちの写真を展示。
15時からはライブ(私ではありません)もあります。
ワインやら料理やらが並ぶ「バル」が登場、
愛染もなにか(おそらくまたピクルスでしょうか)で参加します。
日時/11月3日(土)12:00頃~20:00頃まで
場所ペグハウス
連絡先/中山Tel.03-5397-5297
森谷Tel.03-5397-5298
ペグハウスhttp://peguhouse.exblog.jp
場所はJR阿佐ヶ谷駅と荻窪駅の間くらいの住宅街にあり。地図はすみませぬ、
ペグハウスHPよりご確認ください。
おそらく人数分の室内履きがご用意できません。
恐れ入りますが、各自室内履きをご用意くださいませ、とのことです。
報告がいくつか!

台風一過の秋空が地上に舞い降りたごとく、良い報告をさせてください。
2年ごとに送られるルミネからの退店勧告が~今年9月末日の予定でしたが、
遂に今回送られてきませんでした。
詳しくはベルクのホームページの店長ブログをご覧下さい。
とにかく、これはルミネがベルク退店を迫る姿勢を5年目にして初めて白紙にしたことを
意味します。これまでのことが蘇ります。
ここでは、特に、友人たちの多くが署名をしてくれたことに、
あらためて感謝致します。
この署名がなければ、今ここにベルクも、スタッフ、そしておれの生活もないのです。
ほんとうにありがとう。
この時代が後々に悪い屈折率をもたらせるかもしれないけれど、
良い屈折率もあるのだと、足跡なんか残らなくていいから~
微力ながら杭を打つ日々を送りたいです。
今月はコレです!!
10/4(木)
高円寺「REEF」愛染ライブ!
Adv\1300Atd\1500(+DRINK\500)
Open19:00 Start19:30
愛染は20:10出演予定。
10/6(土)
「歴史に刻まれた証言ー挑戦・沖縄・フィリピンから」
映画「カタロゥガン! ロラたちに正義を!」の上映後、
盟友アリソンのバックを務めるコンサートです。
14:00~16:15「ぬちがふぅ(命果報)」上映
16;25~17:30「カタロゥガン!ロラたちに正義を!」上映
17:30~18:20両監督を囲んで
18:30~19:30コンサート
出演/アリソン・オパオン、清水達生、愛染恭介
全日通し\2000/一本だけ観る場合\1200
コンサートのみはカンパ!
場所/スペース・オルタ
横浜市港北区新横浜2-8-4オルタナティブ生活B1
来て損はさせないよ!
きっときっと
「大入り」は労働の結晶
大入りは労働の結晶です。
お客さんがたくさん来てくれた日には大入りが出るから
感謝とともに小銭一個分の汗を余計にかいた証でもあります。
なぜこんな前近代的な制度がうちの店であるかと云えば
貨幣が電子化する時代に貨幣が貨幣として
貨幣でいられるのは大入りなのです。
大入りは1000回もらっても慣れるものではありません。
私の例で言えば
以前ならこの封から取り出した硬貨の束を掴んで旅に出て
行く先々でこの硬貨の束をばらまいて大金持ちの気分を味わいましたし
今なら溜め込まずすぐ流通させます。
大入りは金額ではなくて、この特別報酬をどう有効に使うか
気持ちの問題で電子化することができません。
貨幣が電子化する時代に貨幣でいられるのは
「へい100万円のお預かり、50万円のお返し」
というコミュニケーションをするときです。
文が電子化する時代に
文が書籍でいられるのは指で頁をめくるときです。
ニュースが電子で送られて
知らされた事件の犯人である極悪人の男のことも
書籍であらためて読めば、頁を何度もめくり返すことで
なんとなく顔が浮かんでくるのです。
あの極悪人も、彼のおとうとおかあによる
夜の労働の結晶です。
なぜ犯行を犯さなければならなかったのか、
一つには彼の家には流通がなかった、滞っていたことが
一因かもしれません。
経済は流通させること、と誰かが言いました。
一つのところへ溜めるのではなく、皆が流し合い
循環させることが多くの生活を活性化させ活力を産ませる。
血液や川の水と同じということです。
先日twitterにてある情報を見ました。
とある猿の研究者の報告で
仲間の猿同士のAとBに、片方に餌をやるのと
両方に餌をやるのとでは、両方に与える方が双方喜ぶということでした。
またAとBの餌の量に格差を与えても双方満足せず、
同量なら喜び、更に同量倍増なら尚喜ぶということでした。
これは美談というよりも
これが本来我々の本質なのではないでしょうか。
とどのつまり
ものごとは分け合い渡し続けて価値があるのでしょうか。
食べ物も、音楽も、いいアイデアも、子供も、技術も、知恵も、お金も
最初は独り占めしたくなるんだけども
そのうち独占したところで、手にしている時間が長引けばその価値は失われていく。
そう野蛮な男たちが歌ってました、Give it away,Give it away,Give it away,now
電子メールは1000回送っても誤解があります。
別に私はあなたに説教したいのでもなければ
喧嘩をしたいのでもありません。
1000回のやりとりで溶けなかったわだかまりも
直接顔を見ただけで、溜飲が下がるのです。
今日も手にした大入りを持って
あなたの顔を見に行く、という益々原始的な生き方をしていく所存です。
お客さんがたくさん来てくれた日には大入りが出るから
感謝とともに小銭一個分の汗を余計にかいた証でもあります。
なぜこんな前近代的な制度がうちの店であるかと云えば
貨幣が電子化する時代に貨幣が貨幣として
貨幣でいられるのは大入りなのです。
大入りは1000回もらっても慣れるものではありません。
私の例で言えば
以前ならこの封から取り出した硬貨の束を掴んで旅に出て
行く先々でこの硬貨の束をばらまいて大金持ちの気分を味わいましたし
今なら溜め込まずすぐ流通させます。
大入りは金額ではなくて、この特別報酬をどう有効に使うか
気持ちの問題で電子化することができません。
貨幣が電子化する時代に貨幣でいられるのは
「へい100万円のお預かり、50万円のお返し」
というコミュニケーションをするときです。
文が電子化する時代に
文が書籍でいられるのは指で頁をめくるときです。
ニュースが電子で送られて
知らされた事件の犯人である極悪人の男のことも
書籍であらためて読めば、頁を何度もめくり返すことで
なんとなく顔が浮かんでくるのです。
あの極悪人も、彼のおとうとおかあによる
夜の労働の結晶です。
なぜ犯行を犯さなければならなかったのか、
一つには彼の家には流通がなかった、滞っていたことが
一因かもしれません。
経済は流通させること、と誰かが言いました。
一つのところへ溜めるのではなく、皆が流し合い
循環させることが多くの生活を活性化させ活力を産ませる。
血液や川の水と同じということです。
先日twitterにてある情報を見ました。
とある猿の研究者の報告で
仲間の猿同士のAとBに、片方に餌をやるのと
両方に餌をやるのとでは、両方に与える方が双方喜ぶということでした。
またAとBの餌の量に格差を与えても双方満足せず、
同量なら喜び、更に同量倍増なら尚喜ぶということでした。
これは美談というよりも
これが本来我々の本質なのではないでしょうか。
とどのつまり
ものごとは分け合い渡し続けて価値があるのでしょうか。
食べ物も、音楽も、いいアイデアも、子供も、技術も、知恵も、お金も
最初は独り占めしたくなるんだけども
そのうち独占したところで、手にしている時間が長引けばその価値は失われていく。
そう野蛮な男たちが歌ってました、Give it away,Give it away,Give it away,now
電子メールは1000回送っても誤解があります。
別に私はあなたに説教したいのでもなければ
喧嘩をしたいのでもありません。
1000回のやりとりで溶けなかったわだかまりも
直接顔を見ただけで、溜飲が下がるのです。
今日も手にした大入りを持って
あなたの顔を見に行く、という益々原始的な生き方をしていく所存です。