明日、21日は、港区議会議員選挙。

今日が、選挙戦最終日になります。

本日、午後7時15分に、清家あいの最後の訴えになる最終演説を、麻布十番駅前で行います。

ぜひ、応援にいらしてください!!

 

 

 

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8年前、この国では未だに、仕事と子育てが両立できないという古く長い社会の因習のようなものに心の底から絶望し、長く勤めた新聞記者の仕事を辞め、港区の区議会議員になりました。

 

当時、港区の保育園待機児童の状況は23区ワーストで、幼稚園にも入れない。

自分自身が悩み苦しみ、まわりで多くのママたちが小さな赤ちゃんを連れて困り果てている姿、傷ついて打ちのめされている姿をたくさん目にして、誰かが声を上げて変えていかないと、と思いました。

一人でこのブログ上に「港区ママの会」を立ち上げ、2歳の娘が寝静まった夜中にこっそり記事を書くようになりました。

 

あっという間に、たくさんのママたちの声が集まり、この声を区政に届けないと、と思いました。

娘の幼稚園入園が決まり、預け先が確保できた時に、覚悟を決め、選挙のことなど、何にもわからない中で、小さな娘を抱えての壮絶な選挙戦を、家族や友達、地元の人たちから応援いただき、なんとか区議会議員になれました。

 

だからこそ、絶対に結果を出すんだ! 港区を、社会を変えるんだ!

という腹の奥底からの強い思いを持ち続け、この2期8年、港区議会議員として全力で走り続けてくることができました。

 

「一人ひとりが声を上げることで、社会を変えられる。そういう実感を持てることが希望につながっていく」

「希望を失望に終わらせたくない」

 

一人ひとりの声に真摯に向き合い、必ず結果につなげるように、責任と覚悟をもって働いてきました。

 

自分の判断、行動の一つひとつが、子どもたちの未来につながっている、と思うから。

子どもに顔向けできないようなことはしたくない。

将来、「どうして、こんな社会にしたの?」と言われたくない。

そんな気持ちで、日々、活動しています。

 

 

4年前の港区議会議員選挙では、本当にたくさんのご支持をいただき、トップ当選をさせていただきました。

そして、さまざまな政党、無所属の議員が一緒に集まって、「国政のイデオロギーとは一線を画して、区民の目線で区政を動かす」という理念のもとに、港区議会で2番目に大きな会派「みなと政策会議」を結成しました。

私は、その幹事長を4年間、努めてきました。

 

 

ひとは不安になれば、強いものにしがみつきたくなります。

社会が二極化し、弱い人たちがどんどん踏みにじられていく。

いじめや虐待が深刻化していくのも、大人の社会の縮図だと思います。

 

そういう中で、この国の大きな問題は、女性と子どもの人権が、社会制度の中で全然守られていないことだと思っています。

この国で生きていくのが怖くなるくらいに。

 

日本の女性の政治家の少なさが、世界的にみても際立っていて、日本にもっと女性の政治家が必要だと叫ばれているのは、そのために必要だから、と思っています。

 

 

この「みなと政策会議」という会派をつくって、幹事長を務めるのは、本当に政治の壮絶さというものを、身をもって体験させられるような経験でした。

 

それでも、会派として一緒に取り組んで、LGBTパートナーシップ公的認証制度(自治体が同性カップルを家族同様に認める制度)のオリンピック前までの実現に道筋をつけられたことは、本当によかった。

自民党の賛同を得られないままだったのが、心残りです。

 

まだまだ、道半ばで、課題もたくさん残っています。

「選択的夫婦別姓を求める請願」については、自民党と都民ファーストの賛同が得られなかったけど、賛成多数で可決できました。

でも、国に意見書を出すのには、港区議会の慣例として全会一致でないといけないため、提出できませんでした。

 

「羽田空港の増便による港区上空を超低空で飛行機が飛ぶ新ルート案」の計画見直しを求める請願は、自民党、公明党、都民ファーストの賛同が得られず1ポイント差で、採択できなかったけれど、渋谷区議会と品川区議会で全会一致で決議されたので、これから、この案件については、自治体が協力して、ルート下の住民の声を国にあげていくように動かしていけたら、と思っています。


 

「南青山の児童相談所」建設については、港区議会では全会一致で反対の声はないのだけれど、近隣住民の方々が不安に思う気持ちもよくわかるのです。

本当に良い施設をつくっていきたいと思っています。

南青山の誇りと思えるような。

港区の誇りと思えるような。

不安に思う人たちとの間を調整していくのが、政治の仕事だと思っています。

 

 

この4年間で、実現できてよかったことは、障害児の支援を進めてこれたこと。

重度障害や医療的ケアのある子どもたちが保育園に入れない。

それが、大きな社会問題になっています。

当事者の保護者の方々から訴えも受けてきました。

 

来年1月、23区で初めて、港区元麻布に、重度障害、医療的ケアのある子も入れる保育園が開設できることになりました。

当事者のママたちと、たくさんの壁を乗り越えて、試行錯誤しながら4年間、駈け回り、訴え続けてきて、やっと実現できました。

本当に素晴らしい施設にしていきたい、と心から思っています。

 

 

発達障害があったり、不登校になっている子どもたちの尖った才能を伸ばす「天才教育」も、やっと今年度、港区で実現します。

日本財団と東大先端研がやっている「Rocket」の対談で、絶対にこれこそ、港区に必要!と思い、実現に力を尽くしてきました。

今年度はまだ試行段階だけど、一人ひとりの子どもたちが、それぞれありのままの個性で輝ける、認め合える居場所をつくっていきたい。

 

それこそが、誰もが生きやすい社会につながっていくと思うのです。

 

 

そして、これから確実にやってくる人口減少社会という日本の危機。

20年後には、日本の半分の自治体が消滅の危機に陥るといわれる中で、東京一極集中は加速し、港区では人口が8年後には30万人を突破するといわれていて、子どもも年間3000人、10年前の2倍の子どもたちが生まれています。

 

ここ港区から生まれ育つ子どもたちを、日本の危機を救えるような人材に育てていかなければならない。

すべての子どもたちに、良質な乳幼児教育、国際教育環境を与えてあげたい。

 

ふるさと納税で、年間40億円が、港区から地方に流出している現在、港区でも昨年度から「ふるさと納税」を始めました。

でも、「お台場の海をきれいにする政策」など3つの政策に、返礼品なしで寄付を募っているけれど、数百万円の寄付しかありません。

 

この寄付先の政策メニューの中に、港区の一人でも多くの子どもたちを世界に羽ばたかせるために、「留学支援」を入れたい。

そう思って、今、一生懸命、取り組んでいるところです。

 

「超少子高齢化ニッポン」に希望をもって挑みたい。

これからの子どもたちのために。

私を育ててくれた、たくさんの人たちのために。

 

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今回の選挙戦、わたしは初めて「無所属」で戦っています。

政党の応援も、組織、団体の支援もなく、本当に厳しい戦いだと自覚しています。

 

そんな中で、家族、友達、支援者の方々、地域の人たちの、本当に涙が出るくらい一生懸命な支えをいただいて、頑張れています。

 

毎朝の街頭演説のために、朝5時から車で場所を取りに行ってくれる弟。

産後1か月で、私の選挙のために生まれたての赤ちゃんを抱っこして、毎日、事務所にお手伝いに来てくれる妹。

議会の仕事で動けない私の代わりに、街中にポスターを貼って、地元の支援をお願いして回ってくれるお母さん。

私の区政レポートやポスターなど全部作ってくれて、毎朝の街頭演説につきあってくれる旦那さん。

 

出勤前に、毎日、朝の街頭演説につきあってくれる親友たち。

子どもを学校に送り出してから、駆けつけてくれるママ友、支援者のママたち。

ポスター貼りも、選挙はがき書くのも、チラシ配るのも、電話かけも、選挙カーの運転、ウグイスも、みんなボランティアで集まってくれた友達、ママ友、支援者の方々です。

障害のある子を連れていたり、小さな子供を連れていたり、妊婦さんだったり。

 

 

4年前の選挙では、選挙カーに乗っていて、こんなにたくさんの人たちに、応援の声をかけてもらったり、手を振ってもらえたりすることなかったな、と思います。

街頭演説していて、たくさんの人たちに声をかけてもらえるようになって、公園に行けば、本当に多くのママたちに「ブログ読んでます」と言ってもらえて、本当に嬉しいです。

 

 

生まれた頃から面倒を見てもらっている地元のおじさんが、応援演説をしてくれたり、歩くのも大変な状態のおじさんが息子に車に乗せてもらって、事務所に陣中見舞いに来てくれたり。

小学生のお子さんたちが、自作のお習字と絵を持って、事務所に応援に来てくれたのも、本当に嬉しかった。

 

そして、事務所には、支援してくださるアーティストの方々が、次々に来てくれて、窓に大きなハートマークを作ってくれたり、「明日があるさ」とか「疾走せよ」とかメッセージを書き残していってくれたり。

素晴らしい私の顔のペインティングもいただいてしまった。

(選挙広報に使わせていただきました!)

 

事務所も、そもそも、後援会長のおうちの方々が、用意してくださったもの。

 

心身ともに倒れそうになるくらい大変な選挙戦を、みんなの力で、力強く支えてもらって走り続けてきました。

最後まで頑張ります。

 

明日21日の投票日には、「清家あい」と名前を書いてください。

 

一人ひとりのお力を、私に与えてください。

必ず、期待に応えます。

どうか、一人でも多くの人に、この思いが届きますように。