数年前、京都KBSの『京都浪漫』という番組で長岡京にある勝龍寺城の特集が組まれているのをたまたま目にした時の事です。




勝龍寺城城主・細川藤孝様の長男・細川忠興に嫁いだ明智玉(細川ガラシャ)の過去世の記憶があると言っても、勝龍寺城は公園として整備されて当時の面影が消えているからなのか、何ら思い出す事もなく、他の歴史上の遺構を見るのと同じく新鮮な気持ちで見ていました。



なのにただ一つ、古い石垣が「近代城郭の先駆け」として紹介された時に、自分の記憶にも感情にも無かった言葉が心に浮かび上がりました。


「これは父が作った石垣だ」


もちろんナレーションにそのような言葉は一切出なかったのですが、その直後



「細川藤孝は宮津を賜った時、信長から『光秀は城造りの名手だから頼むと良い』と言われた」



という言葉が続きました。



「なら答えは出ている。これは父(光秀)が作った物じゃないか。」


何故か強くそう思いました。


石垣についてはまだ分からないものの、今生の私の記憶や感情に逆らってこのような確信を持った場合、明智玉(細川ガラシャ)の侍女のるいさやの存在や玉が鳥が好きだった事、玉自害の知らせを伝えた伝令が一人であった事のように、後々調べてみると事実の事が多かったように思います。



その石垣が下の物です。

最近になってその石垣を再び目にしたので画像を転載させていただきます。



この方はとても丁寧に調べてくださっているのでありがたいです。



何故かは分からないけど、この石垣は藤孝様ではなく光秀が藤孝様の為に作らせた物のように思います。


勝龍寺城の映像の中で、これだけは懐かしさを覚えました。


新婚当初の幸せな時間を過ごした場所だからなのか、父と藤孝様の仲が盟友とも言うべき良い時代だったからなのか、この石垣を見ているとその場に行って触れたくなる不思議な気持ちに駆られます。