この1ヶ月ミッドウェイの戦いに関連してちょっと凹んでました汗

が、沖縄に癒されて復活✨



前回の秀吉の件に関連して書ききれなかった事をいくつか追記で。


前回のブログを書いていた時はすっかり忘れていたのですが、過去世で豊臣秀吉に会った記憶が妄想ではないと思った理由の一つが、秀吉に謁見する際に見上げた黒い大阪城でした。


大阪城と言えば白壁に緑の屋根の、現在ある形の大阪城しか知らなかったのですが、過去世で明智玉(細川ガラシャ)であったと思われる「私」が憎らしく思いながら見上げていたのは黒くて今の大阪城より小さい天守閣でした。


「これが父の死を踏み台にのし上がった男の城か」

という感情と、黒くて現代の物より小さい大阪城が妄想と思えないくらい鮮明でした。

そして調べてみると実際当時の大阪城は黒壁で今より小さかった事に行き当たり、玉であった「私」が秀吉に会った事も間違いないと思うようになった次第です。


そして「3人の男を贈ろう」という言葉が

「お前が明智玉本人だな」

という意味であると解釈したのは、当時侍女は住込みで働いていたか何かで、小侍従に侍従を付けるのが現実的ではなかった為です。




「細川忠興=ヤンデレ」

の理由の一つとして、

「玉に届いた手紙を全てチェックさせていた」

というものがあります。


玉が明智光秀の娘であったからというだけでなく、禁教令が出た後で改宗するわ勝手に侍女に化けて出歩くわ(秀吉対面以外にも出歩いた記憶があります…)、果てには太閤殿下に懐刀を見せ付けるようにして会いに行くわで、逆の立場だったら手紙もチェックして完全な監視下に置くのも当然のように思います。


それでも離縁されなかったのは、玉が細川忠興公に深く愛されていたからなのかなぁ、と。