終戦記念日から1週間近く経ちました。

ウクライナの問題もあるからか、今年のNHKでは特に戦争に関する特集をよく目にした気がします。


戦死した方々の遺族が

「もっとやりたい事もあっただろうに…」

「こんな若さで戦死して…」

と、涙ながらに語る場面が特に多かったように思います。




戦争は決してあってはならないけど、ミッドウェイで戦死した前世の記憶がある彼が語るのは


「戦死した人の多くはそんな事思って死んでない。

ただ守りたかったんだ。

守るために必死だった。」


という事。

そして、操縦士だったので


「死んだ事に悔いは無いけど、同乗した仲間(艦攻だったので他の2名)に申し訳無かった。

俺が殺してしまった。」


とも言います。




兵士になる、戦争に行くという時点で死ぬ覚悟はしているものなのだそうです。


「機体が壊れる可能性もあったけど、死ぬ直前何とか機体を持ち上げようとフルスロットルで上昇しようとしたんだ。」

「空母が全部やられても、何とか一矢報いたかった」


今生も一緒にいるけど、前世で彼が死んだ時の話を聞くと、戦死した皆様はこの国を、大切な人達を守る為に必死だっただけなのだとつくづく思います。



中には顔写真を見ていて「あちらに行ってないな」と感じる方もいらっしゃいましたが、ちゃんとあちらに行かれた方の方が多くいらっしゃって、個人的には

「靖国で会おう!」

という合言葉が死んだ後自分が行くべき場所を明確にし、「死んだ後もこの国を護る!」という強い意志が生きている私達が思う以上の大きな意味を持っていた為に亡くなられた後も迷わずに済んでいたのではないかと感じます。

(死んだ後迷うと良くないそうです。)



そして、今年は沖縄に御供養の為に何度か足を運ばさせていただきました。

6月23日の沖縄戦没者追悼式の直前にも糸満にある平和公園を訪問する事が出来ました。





そこでお供えしたのが「菊水」というお酒。



たまたまお店にお供えサイズの日本酒がそれしか無かったのですが、


「菊水作戦の行われた地で菊水をお供えする事になるとはな。

しっかり御供養しなさいと言われてるのかもな。」


と言う彼の言葉で、恥ずかしながら初めて気が付きました。

同じく前世の記憶をお持ちの方が

「菊水作戦で当時の婚約者を失った」

とおっしゃっていたのがこの地であったと。

この沖縄の美しい海でお亡くなりになったのだと。



あの時「菊水作戦」をよく知らなくて申し訳ありませんでした。


婚約者の方は本当に貴女を大事になさっていたのだなぁと今でも思い出します。


婚約者の方がより高く美しい所へ向かわれるよう、そしてその方が望まれたように、貴女がお幸せに生きられるよう祈っています。