なびくなよ 我が姫垣(ませがき)の女郎花(おみなえし)
男山(あらぬかた)より風は吹くとも
なびくまじ わがませがきのおみなえし
あらぬかたよりかぜはふくとも
という忠興からガラシャに送った詩とその返歌が遺されています。
一般には忠興が朝鮮出兵の際、豊臣秀吉の誘いにのらぬよう、ガラシャ(明智玉)に宛てて送ったとされています。
だけども、私の過去世が明智玉(細川ガラシャ)であった可能性について調べていた時に感じたこの詩の意味は
「指示を待て。
そこを動くな。必ず守るから。」
です。
玉が言葉をほとんど変えずに返したのは、詩が完璧であったので当時の和歌の手法を用いて
「指示に従います。
同じ気持ちでおります。」
と伝えるためでした。
時期は朝鮮出兵ではなく、ガラシャ自害の直前、忠興が家を空けていた上杉討伐の時に送り合った詩のように思います。
女郎花は本能寺の変直後の幽閉先の屋敷に桔梗に混じって植えられていた物で、男山も宮津市にその地名があります。
忠興公は本能寺の変の後混乱した中、必死で玉を守り抜きました。
幽閉中の景色を詠む事で、その時と同じく「じっとしているように」と伝えたものです。
結果として自害しましたが、キリシタン改宗でも知られているように玉は勝手な事をするのでそれを諫める意味もありました。
玉の中には明智光秀の娘という生き辛さもあったので、彼の指示が自害に繋がった訳ではありません。
綿考輯録にも
「野火(火事)あらば下女に化けて帰りを待て」
と忠興公が玉に伝えたという一文がありました。
忠興公は何としても玉を守り通そうとしただけなのです。