この記事で、過去世において彼が細川忠興で私が細川ガラシャであった可能性について触れましたが、この時私はなおも細川夫妻が私達の過去世であった事に懐疑的でした。
懐疑的というよりも、信じたくなかった。
ガラシャの介錯をした人物と、夫細川忠興。
この二人の号泣があまりに悲痛だったので、そんな事が実際起きたとも、過去世における私の決断がそのような事を引き起こしたとも思いたくなかったのです。
「ご容赦ください!手元が狂えば無用な苦しみを与えてしまいます!ご容赦ください。出来ません!ご容赦ください!」
涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにして、そう繰り返し言い続けながら玉の首を落とす事を拒否し続けた家臣。
そして明智玉自害の報に触れた際、鬼のような形相で
「本当の事を言え!
本当の事を言わねばお前を殺す!」
と伝令を脅してでも「玉自害」の報せを否定しようとした忠興公。
その後誰もいなくなった山林で突っ伏して一人
「玉ー!
何故自害したー!
玉ー!」
と声がかすれるまで泣き続けていました。
それはもう錯乱とも言うべき悲しみようでした。
見ていてももらい泣きしそうになる程悲痛な泣き方をしていたのに、こんな事があったとは思いたくない。
複数の家臣自害を引き起こしたのも、忠興公を家族と仲違いさせる程短気にしたのも玉なのに、現実は明智玉、細川ガラシャのイメージだけが良いように一人歩きして称賛されているのも酷い。
私が見た物は妄想であってくれた方が余程良い。
そう思っていました。
そこで彼にいくつか質問する事にしました。
「彼は細川忠興に関する知識はほぼ皆無だけど、元々他の多くの過去世を記憶する彼ならば、細川公に起きた出来事に関して質問しても記録に残る細川忠興と一致する返答をするのではないか。」
と考えたためです。
私「細川忠興公って戦国一気が短かったらしいですよ。」
彼「そんな事はない。
織田信長も伊達政宗も徳川家康も気が短かかったぞ。」
→ 織田信長、伊達政宗は分かるとして、『鳴くまで待とうホトトギス』の徳川家康が「気が短い」?と思ったのですが、調べてみたら本当に気が短かかったようです…
私「宮本武蔵が巌流島で佐々木小次郎と決闘したのは、細川家に士官する為だったらしいですよ」
彼「宮本武蔵?あいつはただの無法者だろう。」
→ 調べてみると巌流島の決闘で勝敗が決した後、武蔵の配下らしき複数の人物が佐々木小次郎を撲殺したため、すぐに肥後細川藩に士官せず大分県日出町に隠れていたのだとか。
そして、食べ物の好み。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/kumako/4/0/4_83/_pdf/-char/ja
石田三成が送って有名な柿、高山右近にご馳走してもらった牛肉だけでなく、蜜柑と鮭も今生好んでよく食べます。
大分県佐賀関の鮑は何となく忠利公の好みもあるような気もするのですが。
いつか彼に食べてもらって反応を確かめたいと思います。
今生で彼も私も前世と同じく飛行機が大好きなのと一緒で、食べ物の好みもそう変わらないのかもしれません。
他にも本能寺直前に宮津を明智光秀が訪れた時の情景や400年前の天橋立の様子、黒い大阪城、現在と異なる淀川の位置、信長様の城を発掘調査した結果玉砂利が敷かれていた事など、調べてみると現実と一致する点が多数見つかり、次第に私達の過去世が細川夫妻であったと思うようになりました。
決定的だったのは「るいさ」という女性の存在でした。
彼女についてはまた改めて書きたいと思います。