今度の日曜日は半年ぶりに、船で海に出る予定。


残念ながら、寒波が来てますが、日差しは春になってきてます。


鯛狙いですが、鯛は4月中旬以降でないと、なかなか活性が上がってきません。


鯛ラバ、ジギングがメインとなりますので、水温が低いとちょっと釣果が・・・


鰤が少し上がっているようですので、間違って掛ってくれれば良いですが。


とりあえず、出れるようなら出てきます。

先日、朝日新聞系の会社から、地元の中学校に朝日新聞を無料で配布するために、寄付してほしいとの連絡がありました。


中学生に新聞を読ませることは、世情を知る上で確かに大事なことかもしれません。(活字離れもありますし)


でも、私が中学生の時に、読書感想文で書くように言われた書物は、朝日新聞系の書物を指定され、それ以外の書物はダメでした。(今はどうか知りませんが)


また、受験には朝日新聞の天声人語を読めば役に立つとも言われました。

朝日新聞は家ではとってませんでしたし、学校でも読む気が無かったので読んでませんが、受験生はそう言われると読んでしまいますよきっと。


(私は「読め」と言われても、読みたくないものは読みません。

前述の読書感想文では、宿題は出さないと怒られますので、感想文ではなく、あらすじに適当に感想らしき文章を記載して提出しました。

太平洋戦争後の戦争犯罪検証ぽい本でした(なんとなく題名が分かると思います)。

自分は祖父が戦争に行ってまして、戦争時代の話を少し聞いてましたので、その本の内容には何の興味もわきませんでしたが。)


でも、おかしくないですか?

朝日新聞社系の情報だけを学校教育で取り上げて、それを教材にして教育することに先生は何も感じないのでしょうか?


情報の取捨選択は個人の裁量ですが、あまり情報の選択肢を持たない子供に最初に教え込むのが「朝日新聞」というのはどうも・・・・今は昔と違ってインターネットの情報で情報を収集できますので、昔ほどの影響力は無いのかもしれません。


まあ、他の新聞社がそのような活動をしていないのかもしれませんが。



私の感覚として 「選択肢を持たせない情報提供は為にならん」ということで、お断りさせていただきました。


その会社の人は、「なんでダメなんですか?(理由を聞かせろ)」と言ってきました。

そのフレーズは、「そっち系の人がよく物品購入を迫るときに言ってくる」内容と被ってますよ。


「こちらはあなたと不毛な会話をしたくない」という意思を込めて、「オタクの企画に賛同できません」とだけ答えて電話を切りました。


まあ、ただ単に朝日新聞に対する私のイメージが悪いだけの話なんですがね。




ひさしぶりにかきこみます。


年末年始にかけて、かなり宴会が続きました。

それぞれ、集まるメンバーや主旨が違いますので、会自体は同じではありません。


小さい田舎町の性で、集まるメンバーは同じような顔ぶれになりますけど。


私は、普段は飲酒しませんが、宴会の時は人並みには飲みます。

人とも話はしますが、どちらかというと聞き役になってしまいます。(情報泥棒ともいいますが)


なかなか発信する話題が少ない(普段の感動がすくない?)のと、趣味がマニアックなもので、話が継げません。


経済界の話は、ある程度食いつきますが、ちょっと勉強不足ですね。(専門知識の幅が狭い・・・好奇心の問題なんでしょう)


で、だいたい1次会は楽しく、2次会は惰性、3次会は我慢大会のような感じです。


1次会で話せない内容を2次会で、2次会でも話せないようなディープな話を3次会でというのであれば、私も喜んでお付き合いしますし、有意義に感じますが、1次会からほとんど話題変わってない場合は、そう感じてしまいます。


飲んで他愛もない話をすることが好きな人には、きっと楽しいんだと思います。


私は、1次会で話せない内容は、会ではなく個別でなければ話せないと思ってますので、2次会以降は本当はお断りしたいです。主催者への義理だてで参加していることがほとんど。


スナック、バー、キャバクラ行っても楽しいと思いません。

まだ、感性がお子様なんでしょうね。きっと。


そういう社交場をうまく使えないところが弱点です。行きつけのお店もありません。

自己中心的で、他の人を喜ばせようという気がないんでしょう。

「この店で味わった雰囲気、時間、空間、味を他の人にも伝えたい」と思ったことすらありません。


ですから、芸術作品に触れても、特に感動しません。

「上手だな」「きれいだな」とは感じても、「涙を流して感動する」ことはありません。


自分が感動し、食指が動くのは、自分が実際に体験すること、もしくは体験した経験に対する擬似体験や共感だけのような気がします。


結局は、「自分にしか興味が無い人間」ということですね。

自分に直接関係しないことに対しては無関心なわけです。


けど、人間は皆一緒です。まず「自分」です。

どんな「自分」が好きかということだけの違いでしょう。


その人の感心の広さと深さ(「感性」というのでしょうか)によって、感動する範囲が決まるのでしょう。

それに、実行力、責任感、包容力なんてものが合わさって「人間の大きさと厚み」になるような気がします。

さまざまな修羅場を体験することで、磨かれていくんでしょう。きっと。

ですから、今の自己中心的無感動主義は、その成長の機会を逃がしているのかもしれません。


その機会がかなずしも外に飲みに出ることだけではないですけどね。

でも、ドラクエではないですが、雑魚をさんざん倒して、ボス敵に遭遇するのと同じで、一朝一夕にはいきませんし、いきなりボスに合えば瞬殺必至ですから、力もつけてないと機会をモノにできませんし。

やっぱ、「何か」に日々精進していかないとダメなんですね。


宴会が好きか嫌いかだけの話だったんですけど・・・嫌いなものも体験していくうちに人間形成の一助になるかもしれないということで、今回は筆を置かせていただきます。


すいません。支離滅裂な文章書きました。