毎回長文になってしまいます。文章力ありませんので・・・。
小学生の子供達がいるので、休日に学校行事の手伝いをすることがあります。
ほとんど嫁さんがやっているのですが、たまには私も行きます。(嫁さんが行けないときくらいです)
他の子供達との接触の機会はあまりありませんので、このような機会にいろいろとこちらも情報収集をするのですが、子供達も友達の親について情報収集をしているのが良く分かります。
だいたい、小学生くらいだと自分の思ったことをストレートに話してくることが多いので、その子の人となりをある程度把握できます。
まだ、そんなに人生経験が無いはずですので、当然コミュニケーションの質が大人とは違います。自分の表現をぶつけてみて、受け入れてくれるかどうか反応を見ているようにも思えます。
自分がそうだったかは覚えていませんが、大人を怒らせないようにしてたように思います。
素直な感情をストレートに表現されると、こちらも同じ感情で接しようと思うのですが、素の自分をストレートに出すのには抵抗があり、逆にいつから「素」を表現できなくなったのだろうと思います。
人からの評価が気になるようになってしまったのですね。人からの評価は、成長の素材として活かすことはできても、自分の人生に直接マイナスの影響を何一つ及ぼさないことが、頭で分かっていてもです。(人の評価に影響されることは、その評価を自分がどう受け取るか、その気持ちだけなんですけどね)
純粋にコミュニケーションを取ってくる子供達に対して、自分は大人の尺度で理解するのでなく、子供たちの立ち位置を理解した上で対応することが必要だと思います。
その上で、ダメなものは駄目、良い物は良い、という判断で接することが自分にとって望ましい対応だと感じます。(人には多様性がありますから、必ずしもこの考え方が正しいとは思いませんが、私見として)
まあ、小学校の高学年くらいになると、自分は基本的に「ほっとけ」ということで、自分で考えて自分で行動するように仕向けたいと思ってます。要所要所でサポートを入れたり、喝を入れたりするくらいで。だから子供は、私はあまりかまってくれない と思っているかもしれませんけど。
私の経験から、小学校中高学年になった子供達は、親と始終一緒に行動するのではなく、自分たちのコミュニティーを作ってその中で遊び、家族としてそのつながりを確認する行事を要所要所で実施することで、子供達の記憶に家族との想いでがアンカリングされると考えています。(これも、いつもは嫁さんが子供達の面倒をみているので言えることですが)
でも、ちょっと行事に参加しても、このように思うわけですから、始終子供達と接している先生の人間性は、子供達の成長にものすごく影響を与え得ると思います。
報道等を見ると、「先生」はもう聖職ではなく、一般職業と同じになっています。人間性が素晴らしい先生にめぐり合うことの方が稀になっているのでしょう。実際に、熱意ある先生もいれば、いい加減に感じる先生もいます。
そう考えると、家庭で子供たちと過ごす少ない時間が、ものすごく重要になるということです。学校では教わらないものの考え方、感じ方を同じ時間を過ごすことで子供達が学びとっていくわけですから。
将来、独りで社会に出た時の考え方の基準として、子供に恥じない生き方、考え方をしたいですね。(カチカチにならない余裕ももたせて)
その考え方を大人になったときに、支持するかどうかは、その子供の判断に任せます。子供には子供の人生がありますので。