根本りょうすけ
何というか。
根本氏のことは、れいわを支持し始めたころから見ているし、太田監督が今回この映画を発表したことも、そして過去に太郎が出演した「朝日のあたる家」を撮った監督だということも、そのときに知ったわけだが。
まだこのあたりの人間ドラマを僕は表面的にしか知らなかったことに対して、新しい話を知ることになった衝撃。
もちろん根本氏や太田監督が語っていた、れいわ旗揚げまえの太郎の話もある程度は知っていた。
能登だけじゃなくて、福島にも何度も足を運んでいたことも知っていた。
だが何回行っていたのか…なんてことまで深く知らなかったし、調べてもいなかった。
(まあ…一般人が個人で調べて、どこまで分かる内容なのか…ということもあるが)
根本氏はともかく、太田氏と太郎の関係についても、やはり「昔からの関係」というのは知っていた。
というのは、僕も太郎の出演した「朝日のあたる家」を鑑賞したこともあり、今回の映画発表からの太田氏のSNS出現によって太田氏がその監督だということを知り、その「朝日のあたる家」も太田監督なのだということを知り、そこでいろいろ僕の中でつながるものがあったわけだが、太郎と太田氏が出会ってからのできごとなどを僕は全く知らなかったわけで。
僕も当時、原発事故においては、同じように懸念している側のひとりではあった。
別に福島を責める気もないし、もし福島県民の生活がピンチになるなら、日本中の国民で支えるべきだと思った。
しかし事故が起こった事実をなかったことにして、思考停止したまま「きっと大丈夫だろう」と『福島県の生産物を日本中で買って食べてやることが福島県民のため』だとは思っていなかった。
それは福島県民のためにもならないし、もちろん最悪の想定までしなければならなくなる未来の事態もあったのである。
まえの記事でも書いたが「本当の友人とは、自分が悪いことをしたときに叱ってくれる友人である」という話。
あのころ福島県民が窮地だったのはわかる。
結果的には太郎が「自分の考えが至らなかったことで、不快な思いをさせてしまった」と福島県民に謝罪した。
しかしあの当時の太郎の主張は間違えてはいなかったと僕は今でも思っている。
福島県民にも太郎の言動が正しいと認識している人たちはいっぱいいたが、同じくらいアンチも出現した。
太郎のアンチが言っていたのは「芸能人である太郎が放射能の危険性など口にしたら、風評被害が広まってしまい、せっかく一生懸命に作った野菜が売れなくなってしまうだろう」と「俺たちの生活が破綻してしまうだろう」「私たちの仕事がなくなってしまうだろう」…ということだと思っている。
つまり原発事故の責任をすべて太郎に押し付け、日本国民には思考停止になってもらい、都合の悪いことは見ないようにして、自分たちの生活を支えるために、自分たちの作った野菜を買わせるんだ…と。
ちょっと言い方は悪いが、僕もこの福島の件に関しては完全に太郎側に寄り添っており、太郎アンチの福島県民は大嫌いなので、事故から15年ほど経過した今、本音で語らせてもらおうと思う。
風評被害。
実に都合の良い言葉である。
詐欺師がよく使いそうな言葉。
まあ実際に「ありもしないデマを拡散されて、それによって被害が発生した」のであれば、それは風評被害である。
しかし「ただ実害のリスクを訴えることを風評被害と煽って、自分のビジネスのためにもみ消そうとするやり方」は卑劣である。
そこに太郎アンチの福島県民は、被害者という都合の良い立場を利用して、太郎の言論を封じようとした。
太郎だけではなく、日本国民でこのあたりのリスクに気づいていた側の意見を潰そうとしていた。
もちろん、これにはテレビ側も協力していたから、テレビでは連日「風評被害はやめましょう」というプロパガンダを垂れ流し、深く物事を考えられない日本国民の多くは、このプロパガンダに飲まれてしまった。
だから原発のリスクや、当時の放射能について不安を語る人々は、魔女狩りのような目に合っていたわけだろう。
「福島県の人々に対して薄情だな!」と。
そういう話ではないのだがね。リスク比率の問題。
リスクが0%なのに、不安を煽ったらそれはデマであり、風評被害となる。
もしリスクが5%ほどあっても、福島県民全体が受けていた被害のことを考えたら、日本国民が5%のリスクを全員で背負う覚悟で、不安を口にする人たちを「風評被害」という言葉で封殺するのはアリかもしれない。
これはリスク10%でも人々のリスクへの価値観でそれぞれの捉え方はあるかもしれないが、これがだんだん20%30%…となっていくにしたがって、そうは言えなくなってくる。
仮にリスクが100%であるなら、もちろん風評被害ではなく完全な実害があるので、危険性を人々に呼びかけているまでである。これはリスクが95%でも90%でも、一刻も早く避難しろと危険性を呼び掛けるほうに正義はある。
ちなみに、このリスクというのは放射能による人間の細胞破壊、そして白血病など未来に受ける健康被害のことである。
実際に原発で仕事をしている人たちは、防護服を着ているとはいえ、もっと高濃度の放射能に至近距離で常に晒されているということもあり、時間的な経過を待たずに突然鼻血を出したりなど、極端な病変もあったことから、事実として放射能が人体に及ぼす影響というのはあるはずだし、だから懸念するのは当然の話ではある。
放射能がそれぞれの物質ごとに半減期が異なっているとかさまざまあると思うが、それらが核炉から漏れ、大気に拡散されてしまったとき、もちろん日本全体に広がれば、それは薄まるだろうから、一定で思い過ごしレベルで収まる可能性もないわけではなかった。
しかし、その根拠もないわけだから、やはりあの時点ではリスクの高い方を想定して動くべきだったと僕は思っているが。
実際に政府が国民のことを考えており、国民のために政治を行っていたなら、当時でも余裕で福島県民を救うこともできたはずである。
いったん速やかに人々を避難させ、数か月かけて育ててきた野菜は、少なくともその時期のものはいったん諦める覚悟で逃げる。(もちろん避難後にさまざま調査をして大丈夫そうなら、そこで戻って出荷という方法もあっただろう)
避難先での生活費は、当面政府がすべて面倒を見る。(福島県民はその土地での農業を失うかもしれないわけだから当然である)
別の仕事を見つけて、生活が安定し始めた人から順に補助金を解除していけばいい話で、最後まで「意地でも福島の地に戻って農業でやっていく以外に仕事は考えない」って人には、それまで補助金で生活は見るべきだったと思う。
もちろんこのとき、悪いことを考えるヤツも出てくるだろう。
だからリミットとしては「福島の土地の除染と、安全性が確保されて、そこで元の農家生活に戻れるまで」というのは決めておくべきだが、基本的には「被災者である福島県民が自分たちの生活が安定するまでは国が責任をもって保護する」ってのがシンプルな条件であるべきだと思っていた。
太郎もたぶんそういうようなことを言っていたと思う。
だから僕と非常に考え方は近いと思っていたが、結局のところ頭でっかちな自分自分自分の県民を納得させることは出来ず、結果的に思った以上の被害が拡大する気配もない状況に、仮にもう被害があったのだとしたら手遅れというくらい時間をかけてしまったのち、太郎は自分が間違えていたと謝罪したが、何度も言っているように選択と決断は間違えてなかったと僕は判断している。
自分一人のことではなく、多くの人を巻き込んだ選択と決断というのは、いざというときに判断が鈍るし、決断を躊躇するだろう。
そうこうしている間に手遅れになってしまうこともあるなか、太郎は当時ひとりでよく頑張っていたと思っている。
なかなか、ああいった行動をとれる人は、影響力やお金のある人でもそういない。
というか。影響力があるからこそ、立場上なかなかそういう行動はとれず、影響力がない人はその言葉通り影響力がないという側面と、お金的な意味でも一般人には難しい行動だろう。
だから誰も行動に移そうとしないなかで、太郎だけが自分の仕事を捨ててまで動いた。
なのに評価すらされないのは理不尽である。
あの事故後の流れは、結局は無知が何も勉強せず、無知のまま、舞い込んできた自分たちに都合の良い情報だけを鵜呑みにして、思考停止したまま自分に都合の良い方向へと世界を向かわせようとした結果である。
根本氏も過去の太郎についてよく勉強しているようで、能登の話についても「30回以上現地に足を運んで聞き込み調査をし、それを国会に届けていた」と言っている。
僕も太郎のことは比較的理解しているつもりでいたし、少なくとも年末年始に炊き出しに毎年行っていたのは知っていた。そして、それ以外にも何度も足を運んでいることはわかっていたが、何回行っていたのか、何回以上足を運んでいたのかっていうところまでは調べていなかった。
結局は他人事で、太郎の苦労も上っ面しか見ていなかったのである。
自分が大変なことをしているわけじゃないから、回数までは調べない。
あくまで「太郎は何回も能登や福島に足を運んで、被災者の声を聴いてあげている」っていうような、他人ごとで済ませてしまっていたわけだが。
根本氏が「能登だけで30回以上足を運んでいる」と言ったことに対して、僕は自分も結局は他人事で太郎を見ていたのだと恥ずかしくなったが、自分は何もしていないくせに、行動している人間をバカにして否定するクソのような人種が、この日本にも大量にいるという話。
ネトウヨはもちろんだが、はっきり言って一般人を装ってるお花畑も、右翼や保守を自称している自己中どももたいがいである。
よく右翼や保守ってのは、自分たちのことを反グローバリズムだと思っているようだが、人間はみんなそれぞれ痛みもあるし、死にたくないと思って生きている。
幸福を求めて誰もが生きている中で、右翼ってのは人ひとり一人に焦点をあてて考えていない。あくまで国家という枠組みで、「他国と日本の争いが前提」で物事を進めている。強い日本だのなんだの。
その欲望の先にあるのは、あきらかに理不尽に戦争の被害に遭う人々であり、右翼ってのは人ひとり一人を見ていない。あくまで国という主体で考えている。
ある意味で全体主義でもあり、グローバリズムというものがいったいどういう思考回路なのかと考えれば、それは右翼的なものなのだろう。
左翼ってのは一般論ではたしか「革命」という意味だったはず。
それは国家、そして権力に敵対する勢力のことである。
仮に今の北朝鮮のような国をまともな国にするには、革命を行うしかないと考えるのは、意外とまともではないだろうか。
しかし日本という国は、過去から統ー教会に入り込まれ、なんだかんだで長いことその支配下で陥れられてきた国だが、戦後の急な経済成長の恩恵で世界に類を見ないほどの豊かな国となっていたことが影響して、多くの国民が権力に入り込んだ壺に気づいていなかった。
それが今の追い詰められた日本を作ってしまった原因だが、国民がそんな程度なので、当然だが「平和な国で革命を叫んでいる奴は危険な売国奴だ」ってなるわけだ。
平和な国で何不自由なく幸せに生きている自分。国に対して何の不満もないのに、国を変えようとしている左翼は反乱分子であり、国家転覆を企む売国奴だと。おそらく、そんな価値観になっていたのが、結局は政治の支配状況を知らなかった、オメデタイ日本人の頭の中だったのだろう。
しかしふたを開けてみれば、日本の政府こそがもっともヤバい状況にアリ、外国よりも問題だらけだということに気づく。
そのとき、まだ「革命など野蛮だ」と言っていられるのかという話である。
れいわは「言論でシバきにいく」と言っている。
かつて共産党が国民からバッシングを受けることとなった暴力革命ではなく、あくまで言論で戦う覚悟は決めているのだろう。
ただ。このままいけば、いずれガチで暴力革命を起こそうとする国民も出現しかねない。
だからそうなるまえに言論でシバきまくって、壺を権力から追い出さねばならないわけである。
政教分離は機能していない。
そして今の日本を見ていて思うのは、政教分離を徹底することはもちろんだが、政治と宗教だけではダメである。
政治は宗教に加え、企業、資本とも分離しなければならない。そうしないと同じことを繰り返す。
ここのルールだけは徹底するべきである。
たとえば国民に対して「死刑」とか「拷問」みたいなことを考えるイカれた壺政治屋に関して、そのような野蛮で原始的なルールなど作るべきではないというのはあたりまえの価値観だが、
ゆいいつ政治家は宗教、企業、資本と関係を持ったら、人生が詰むくらいの罰を与えるべきであると思っている。
「人生が詰むくらいの罪とは酷いんじゃないか?」と現代人では考えるかもしれないが、別に宗教と企業、資本などと関係を持たねば、そんな罰則は発動するわけがないのだから、逆にここを徹底することでクリーンな政治が実現されるはずである。
もうひとつ。外国との癒着もあるな。
これも大罪のひとつに入れるべきだろう。
政治家は、宗教、企業、資本、そして外国勢力と癒着してはならないっていうルール。
というか。
もはや個人でもカネ持ちがカネで介入する可能性も問題だから、結局のところ「ロビー活動禁止」ってするべきなのか。
別にこういったところと関係を持ち、カネをもらって政治に反映させる…ということをしないようにしていれば、別に罰を受けることはないんだから、むしろ当たり前のルールとして必要だろう。
政治家は一般国民と違い、権力というものを行使するのだから、やはり権力を持つ人間はそれなりの監視とルールで縛られなければならない。それと引き換えの権力の座である。
あとは何の理念もないカネの亡者が政治屋にならないように、基本給は一般国民以下にしておくべきである。
何か日本のために成し遂げたときに、はじめて今の政治家並みの何千万っていう給料をもらうのは構わんが、寝てるだけだったり、無言で席について自分の意思とは関係なく、党に従った採決に参加しているだけの人間など、月10万円の価値もない。
たとえば日本国民の社会人における最低所得が10万なら、政治家は普段9万でなければならない。
そのくらいの制限をつけておかないと、ロクでもないことを考える政治屋が後を絶たないわけで。
「もし自分の最低給与をあげたいのであれば、日本国民の所得を挙げるしか方法がない」という状況を作れば、自然と政治屋も自分のために国民の所得が上がる方法を考えるようになるだろう。
仮に日本国民の最低賃金が30万になれば、政治家もみんな30万が基本給になる。
まあどこまでいっても政治家は基本が最低ラインの給料って設定であれば、何か政治で結果を出さねば一生最低ラインの所得で生きていくことになるが、政治で日本のために何もしないのに政治家の席にふんぞり返る気なら、それがあたりまえだろう。
割に合わないというなら、そんな奴は政治家に向いてないから辞めればいいって話で。
結局はロビー活動を禁止された政治屋が、基本給=日本国民の最低ラインの賃金しかもらえない…ってなったとき、それでも日本の政治家としてやっていきたいと思うかどうかってところである。
日本をよくする気があるなら、結果で示せば、それなりの歩合制的な給料をもらえれば問題ないわけで。
ちょっと全然関係ないことばかり書いて、話がずいぶん脱線してしまったので戻すが。
この動画。今のれいわ潰しにおける話もしているが、結局のところ情報と知識を得れば得るほど、世の中の構造を理解すればするほど、究極は「れいわか、それ以外か」っていうところに行きつくのである。
もちろん、れいわ以外でも共産か社民あたりは、まだ可能性はあるし、マシなので僕は叩く気もないが、はっきり言っていろいろ調べている限りでは頼りないというか、結局頼れるのはれいわだけだという結論になる。
この動画は、すべての日本国民が観たほうがいい。
映画は僕もまだ観てないから、どこまで内容が正しいか分からないため、観たほうがいいと断言はできないが、少なくともれいわ支持者以外は観たほうがいいのは確実だと思っている。
もちろんれいわ支持者も観たほうがいいかもしれないし。
ただ表紙で壺側である原口や奥野が出演しているのがわかるが、本人が出演しているってことは、おそらく彼らの本性は描かれていないだろう。そういう意味では、内容に詰めの甘さは感じるが。
まだ観てないので、もしかしたら斬新な切り口で語られているかもしれないので、結局は観て判断ということだろう。
ひとまず、れいわしかないと思うかどうかは、それぞれ人の自由だが、少なくとも真実を追求するうえで、この動画そのものは全国民が一度は観るべき内容ではあると思っている。