トラジロ
全部観てないんだけど、ざっと聞いている限り、たがやは所詮たがやというか、相変わらずの自己中だなって思うわ。
まず、そもそものなんだけど、トラジロ氏の話を聞いている限り、この多〇谷の言い分ってのは「多〇谷の一方的な主張」でしかないんだよね。
たとえば「大石氏や奥田氏のほうが自分より給料が多い」とかいう言い訳もしていたっけ?
これってただのカネの亡者の不満でしょ?
仮に僕がれいわの議員だったとしても、大石氏や奥田氏の活躍を鑑みれば、恐れ多くてというか、申し訳なくて「彼女らと同じ給料を俺にもよこせ!」とは言えないわけだが、たとえば多〇谷の言い分として「平等ではない!」ということなんだろうが、そもそも「平等ってなに?」っていう幼稚園児への問いに関して、まず多〇谷が理解する必要があると思うんだよね。
たとえばだけど、よく「共産主義」というものに僕らは抵抗あると思うが。
その理由は、結局のところ戦後から仕掛けられてきた「壺による反共主義の植え付け」によるものであって、実際の共産主義ってのはもっと広い可能性には満ちていると思うわけだけど、大半の人間は国民の多くが反中感情を植え付けられてきたのと同様に、反共主義も植え付けられてきたのだと思うんだね。まあいわゆる洗脳。
そもそも、なにも共産主義=中国とか口シアとかではないし、共産主義ってのは僕もまだはっきりは理解していないけど、単純に共同体が協力して生きていくうえでの分配のシステムって感じじゃないかと思っている。
これに対して、偏った認識を植え付けられている人間、あるいは強欲なカネの亡者ってのが特に「みんなまったく同じ給料では仕事をやる気にならんだろ!」って言ってると思うんだけど、この感情は人間である以上、まあ当然の不満だと思うわけだね。
だけど「共産主義=絶対に全国民が1円のズレもなく、まったくの均等にお金を分配」って思い込んでいる時点で、情弱化、あるいは思考停止か、もっといえば完全に反中思想に洗脳されたネトウヨ脳か、、そういったところじゃないかと思う。
まず共産主義がどういうものかっていう説明を僕自身がハッキリできないので、そこは置いておくが。
少なくとも、偏見で否定している人たちの思っていることが間違えていることだけは言っておこうと思う。
で。
多〇谷の脳内も、おそらく「平等=みんな同じ分配=共産主義」になってると思うんだよね。だから大石氏だの奥田氏だのの給料と自分の給料を比べて「不公平だ!」とか騒いでいたわけでしょ?
で「れいわは、みんな平等じゃないのか!?」とか言っていたと思うんだけど。
実際に、たがやも「平等に一定の金額以上はもらってる」でしょ。とは思うんだよね。
どんだけ日本のために仕事をしていたかは知らんが、少なくとも議員としてれいわに所属して活動していることによる議員報酬を一定数以上貰っていたはずである。
たとえば「年中寝ているだけで、1ミリも役に立ってない議員」であっても、おそらくこれはれいわに限らずだが、数千万とかに到達しているわけだよね。
この内訳って、僕はあまり詳しくないけど、国会議員と地方議員でも差はあると思うから、たがやは国会議員として少なくとも地方議員の人らよりは多くもらっていたはずだよね??
で、太郎が釈明していた点として、「大石氏や奥田氏はかなりの実費活動を積極的に行っていたことから、そういった活動費として多〇谷より多く支給しているみたいなことはある」と言っていたと思う。
これっておそらく政務活動費として、給料とは別に党から支給される政治的な活動に使うための費用ということだけど、これもぶっちゃけ「1円もかけずに全部ネコババしている議員」も間違いなく大勢いると思われる。(れいわに限らず)
というのは、たとえば1円も消費しなくても「パソコンに向かって政治的な活動を1日中していました」「私は仕事をしていました、政治の!」って言い張ることで、面目的には政治の仕事をしていると。
それに比べて、自腹で会場を抑えて勉強会を開いたり、講習会を開いたり、子供たちを呼んで政治に興味を持ってもらう機会を作ったりなど、そういうのって会場費もろもろかかったりするわけでしょ。
「自分の時間を使った=価値ある政治活動をした=自分も同じだけの政務活動費をもらう権利がある」って多〇谷は思っているのか知らんが、お金のかかる活動をしたり、より価値のある活動をしてくれる議員に多めに支給するのは僕は「至って普通で平等」だと思うんだが??
共産主義だって、極論で言えば、資本主義って「完全な奪い合い」なんだよね。あとは「他人を奴隷として利用する主義」ってのが資本主義。
まあその他人の利用の仕方によって、ある程度不満がないお金をチラつかせて暴動が起きないようにしているが、実際にはそれを分配している企業側、特に大企業とか、もっといえば政治権力などってのが、いったいいくら自分たちでは取っているのか。
もうこの時点で、本質だけ見れば資本主義というのは隠れ独裁共産主義であると。
ただ、その「共産主義における独裁役を誰がやるか」っていうので、資本家が自分たちが支配できる共産主義社会を作り上げるために、自分たちが資本を最初から持っている状態にして、多くの人を「雇う」というかたちで絶対に自分たちの立場をとってかわられないような社会を構築したのが、おそらく資本主義である。
ここで共産主義っていうものについて考えると、たとえば過去の口や中国において「共産主義をやって失敗している」という価値観を持っている人は多いと思うけども、結局あれらはすべて独裁的な共産主義をやろうとして失敗したわけだよね。
つまりは「自分だけ、権力だけが必要以上の超贅沢」をして「多くの国民には過剰な貧乏を強いる」みたいな。この状況では経済は回らないから、国は衰退していく一方だが、強欲な権力側は自分のカネのことしか考えてないから、一向に国が豊かにならないという構図。
この問題は共産主義なんじゃなくて、独裁主義が問題なんだと思っている。
だから完全な共産主義というのは、権力者も、一国民と同様に、まったく同じ給料でやっていかなければならないのに、なぜか分配する側が自分たちだけはたくさんとるということをしているから、口や中国のようになるわけで。
ただ、この完全な共産主義って言うのは、最初に言ったように「がんばっても寝てても同じ給料かよ!」っていう不満が出てくるのは人間として当然であり、共産主義に対する人類の不満というのは、結局のところ欲であると言える。
だから共産主義が嫌だという人が後を絶たないのだと思っているわけだが。
たがやの脳内にある共産主義の構造は、多分こういうネトウヨからみた超共産主義みたいな価値観だと思われる。
そして、れいわにそれを求めたってことは、れいわを完全な共産主義をかかげる超共産主義政党だと思い込んでいるのかという疑いすら感じる。
おまえは、いったいどういう目でれいわを見ていて、そしてどういうつもりでれいわにいたんだと。
仮にたがやの大石氏や奥田氏との支給額の違いに対する不満と言い分に正当性を持たせるなら、多〇谷は完全な共産主義者ってことになるが、なのに脱退後は共産党にはいかずに、まっすぐに躊躇なく中道に向かった。
まるで最初からそこと契約しているかの如く。
たとえば強欲資本主義だと、大石100,奥田100,多〇谷0っていう分配もありうるが、多〇谷が言いたいのは「なぜ大石66,奥田66,多〇谷66じゃないんだ!?」ってことだと思うんだよね。
でも実際には、れいわから支給されていたのは「大石100,奥田100,多〇谷0」ではなく、「大石70、奥田70、多〇谷60」みたいな感じだったんじゃないかと思うわけで。
大石と奥田から4ずつ減らして、自分に6増やせと。そんな感じだと思うんだよね。
でもこの10の差ってのは、大石氏や奥田氏が、世間に対して積極的に政治家として活動していることから、その負担分への予算として、まったく活動してない人よりかは10多く支給したってだけの話やろ、と。
たとえば「講演会をするとお金がかかるし、回収で赤字になったら嫌だからやらない」とか言ってお金のかかることは極力せずに、1円たりとも使わずに政治活動をしている人間よりも、お金を使って政治活動している人に多く回すのは、別の意味で平等だと言えると思うわけで。
僕が言う理想の共産主義の分配ってのは、「最低限の人権を尊重される分配までは誰もがされるべき」っていう考えで、たとえば人がストレスなく楽しく生きていける予算が、たとえば「月に20万は必要なのであれば、誰もが20万は分け合って手にできているべき」って思っていて、でもそれ以上に贅沢したい人は分配の先のお金は自由なので、月に100万だろうが200万だろうが、1000万だろうが稼げばいい」ってだけの話だと思うんだよね。
20万以上の贅沢をするために、仕事をする気にならない人は毎日そのお金の範囲で楽しめる生活で満足すればいいし、もうちょっと贅沢したい人は月10万稼げば30万くらいの生活はできるし、20万稼げば40万くらいの生活はできるし、もっと限界までカネを増やし続けたいって人は、寝る間も惜しんで稼ぎまくればいいだけの話である。
これはある意味でベーシックインカムともいえるが、これもまた共産主義が混じっている考えではあると思うので、共産主義ってのはどこからどこまでどういう価値観で平等を求めるのかってことだろう。
上記のように、最低限の生活は平等に保障されるべきってやるのか、あるいはすべてのお金は平等に分配してしまうってやるのか。
あるいは労働の対価として平等に働いた分の対価は支払われるべきってやるのか。
平等に働いた分の対価っていうと、たくさん稼いだ人が分配を負担することになる時点で平等ではないだろうとなるかもしれないが、誰もが生きる権利をという社会を考えるなら、そこまでの分配は助け合いの分配で、そこから先の稼ぎが平等に働いた分の対価という考え方もできるし。
こういったさまざまある考えの中で、たがやにとっては「れいわは完全にみんな同じ分配。寝ていようが、一生懸命働いていようが、全員が同じ給料をもらうべきだ」っていう主張をしているわけでしょ?
でも共産党にはいかず、中道に行った。
そしてれいわは、そもそも資本主義ベースでの最低限の生活は支え合うべきっていうくらいの助け合いの分配みたいな考え方なので、基本は資本主義ベースであることには変わりなく、共産主義でも何でもないわけで。
ただ今の資本主義が強欲すぎるから、人が死なないように、不幸な人がでないように、もうすこし分配するべきだって価値観なんじゃないかと思うんだよね。少なくとも僕はそう捉えて、共産党ではなく、れいわを支持している側面もある。
もちろん共産党も、完全な共産主義ではないと言っているので支持する価値はあると思うが、そうは言っても僕は完全にしがらみがないのがれいわだけだと思っているから、そういう意味でもれいわ支持であるということである。
秘書の件もそうだが、多〇谷って結局はれいわのことを超共産主義だと思い込んでるなら、その割になぜかチームとしての協調性もないというか、そういう仕事の分配。
豪華客船だらけの中を、いかだで渡ろうとしているチームが、豪華客船に対抗するためにいろいろ協力し合って、工夫し合ってやっている中で、自分のカネ、自分の地位、自分自分自分みたいな強欲な思考回路で、チームを陥れ、自分は豪華客船に乗り込んで、さらに沈没させようとするというゴミクズである。
なんだか「私はたったひとりで、れいわと戦っている」とかほざいているらしいが、「たったひとりで」って使いたくて仕方ないんだろうな。太郎が「たったひとりでれいわを立ち上げた」ってのは事実だが、多〇谷の場合はたったひとりではなく、壺などにカネで寝返って、単に反旗を翻しただけじゃないのか?
そもそも、「多勢に無勢なのはれいわのほう」である。
あたかも「自分は、たったひとりで巨悪に立ち向かっている」みたいな印象を醸し出しているが、やっているのは壺だのに寝返って、愛国ビジネスによって増殖した獣を味方につけて、多勢となって、れいわを罵っているだけのクズだろう。
なにが「たったひとり」なのか?
辞めて中道に入り、しかも「おそらくれいわアンチがいるか、あるいは壺の手先である可能性もある新潮と結託している時点で、たったひとりじゃねーだろ」と。
大石氏のほうがよっぽどひとりで戦ってる感あるわ。
テレビでもスポンサーや壺の犬だらけの討論番組で、ひとりで噛みついていたのもそうだし、その後に壺などがネトウヨも巻き込んで非常識なれいわ叩きをはじめたなかで、ひとりで集中砲火を浴びていたわけで。
ほか、れいわ支持のX民もすさまじい誹謗中傷を受けているが、どう考えても多勢に無勢でがんばってんのはれいわのほう。
たがやはしんどいことから逃げたゴミ。
壺に忠誠を誓って自分だけ助かろうとしたゴミ。
まあ、もとから壺の手先だった可能性もあるが。
トラジロ氏も多〇谷と話すときは、あえて紳士的な態度でとても良いと思うが、実際には多〇谷が嘘つきの詐欺師であるという警戒心は常に持っておくべきである。
こういう行動をとる輩は、どちらにしろ同じことをする可能性があるし、たがやという人間の人間性は変わることはないので、信用はすべきではない。
あと、たがやって、れいわに対して「誰もがやり直せるという社会を訴えている政党ではないのか!」とか言っていたが、これもお門違いなんだよね。
たがやは除名されたのではなく、あくまで公認を一時的に取り消されただけである。つまりは党のルールを破った罰。
ぶっちゃけ罰は、多〇谷自身が「どんな罰でも受ける所存」とかほざいていたのに、公認取り消しだけで済む罰とかむしろあれだけのことをしたにもかかわらず、かなり寛大な措置だと思ったが。
なんで「どんな罰でも受ける」とイキってたくせに、この程度の罰で文句言って自分から出て行って、アンチ化するというね。
動きから見ても不自然極まりないし、「あきらかにエ作にかかわってんだろ、おまえ」っていうようにしか見えんのよ。
これに対しても、結構コメントで言われていたが、「誰もがやり直せる」ってのは「罪を認めて、反省をしたうえでだ」という答えが大半で、それがまともな人の感覚である。
たとえばドロボーをした人間が、「わりぃw二度とやらないから見逃してくれよ?」って言って無罪放免になるのか??
って話。
それがまかり通るなら、社会は窃盗だらけになってしまうわって話で。
あくまで「問題を起こしたら反省して、罪を償ったのであれば、再度やり直せるチャンスは与えられるべきだ」って話なのに、何をあれだけの問題を起こして、さも悪くないみたいなツラしていうような輩に、無罪放免でチャラにしてもらえると思ってるのか。
頭悪すぎやろ。
つーか。
たがやも本当に整合性撮れてないんだよな、行動に。
言ってることとやってることが違うから、信用できないんだわ。
マジで言動が気持ち悪い。
れいわには「れいわは平等って言ってるのに、大石と奥田のほうが俺様よりたくさん支給されている!」とか不満を述べて超共産主義を押し付けているくせに、壺やカ〇トの仲間になって愛国ビジネスに媚び、奪い合い、奪ったもの勝ちの超詐欺ビジネス主義を応援するという立場につくというね。
「大石と奥田が俺より支給が多いのはどういうことだ!?」とかいうくらいなら、なぜ共産党に行かなかったのってことだろう。
マジで多〇谷はオワッテルから、トラジロ氏もかかわらん方がいいと思うがね。