【はかたや】1杯290円の理由 | 名もなきブログ

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いつの間にか陰謀めいた事を発信するようになってしまった跡地です。

麵爆

 

なんていうか。

 

結論から言うと「ここは特殊な事例」とコメントがあるように、たしかに現代で1杯290円のラーメンは異常であるし、「製麺屋だからできるんだ」って主張がすべて正しいとも思わないが、少なからずこの常軌を逸脱した価格設定を可能にできるポジションにいる企業だからできている…という側面があるというのが事実だろう。

 

 

社会の仕組みとして、とても正しいことを言っているような側面もある中で、コメントを見ても「まったく共感できなかった」というようなセリフが多くみられる原因は、そもそもの社会構造としての理念とか信念ではなく、「原価と売値には因果関係はない」とか「売値はお客さんが決めるもの」という行き過ぎた主張が、おそらく共感ができないと感じる人の要因だと思うわけだが。

 

とはいえ、経済の循環というか。

物価高騰すれば、同じ単価で同じ数を売っても利益は減るのは当然であるが、売る数を増やせば利益が増えるというのも事実で、実際の経済理論のなかで健全な平和社会を構築するためには、おそらくこのマインドは必要不可欠だとは思う。

 

儲けたい一心で売れる価格の限界まで値上げして売る…となると、その値段で許容できる人しか買わないわけだから、当然売る数は減るわけで。

その分単価を挙げて採算を合わせる…みたいなことをしていたら、間違いなくいずれ社会は崩壊するというのはアホでも分かる。

 

 

たとえば、これまで原価10円のものを100円で売って90円の利益を出していたとして。

物価が高騰し、原価が30円に引き上げられたので値段を120円に上げることで、90円という利益を維持するというのはいっけん1つ売れた場合の利益率は維持しているが、社会全体で見たときにどうかっていう話だろう。

 

100円という単価に関して、何の負担もなく買える人、100円だと躊躇するくらい負担はあるが、それでも欲に負ければ買える人、100円でも予算の都合で買えなかった人。

元々ですら、こういった立場の差がありそうな状況下で、さらに20円値上げされた場合にどうなるかってことを考えれば、とうぜん100円ですら買えなかった人はもっと買えないわけだが、100円くらいなら負担はあるが何とか買えていた層で買えなくなる人が出現。

結果、100円のときは平均100人が買っていたため、総売り上げが9000円だったとしたら、120円にあげたときに1杯自体の売り上げは変わらずとも、いったい何人が買ってくれるかによって総売り上げが増えるのか減るのかが決まるという話である。

 

たとえば120円にあげたことで買う人が平均90人に減ってしまったら、総売り上げは8100円に落ちる。

これを原価が上がったせいでの売り上げ低迷だと考えて、さらに値上げする。

たとえば130円。この10円の値上げで1個の売り上げの儲けは10円増えるが、この時点で90人が買っているのでシンプルに900円アップする計算である。イコール9000円に戻せるという思考回路。

しかしこれは浅はかで、10円アップさせたことで1個の売り上げは100円に増えるが、さらに購入者が80人に減った場合、売り上げは8000円に落ちてしまう。

そしてまた値上げ…と。

 

まあ「買いたくない奴は買わなければいい」というスタンスで1個の単価をあげて、売り上げを維持しようとするスタンスである。

実際には「買いたくないヤツというか、買いたくても買えないっていう人が増殖しているわけだが、売り手側としては買ってもらえない場合には、それは買いたくないヤツと捉える人もいるだろうって話。

 

 
いっぽうで。
20円値上げされても売値を100円でキープすれば、1つの売り上げ自体は70円と、あたりまえだが20円減る。
そうなると売り上げは9000円から7000円に減少。
だが、それはこれまで買っていた100人はそのまま買い続けているだけの状態の結果であり、さらに安さで新規の客が増えれば上乗せの利益になるわけだが、10人増えただけでは700円だけの追加なので7700円で、物価高騰前の9000円の売り上げまで1300円足りてない。
9000円に到達するためには、30人ほど増えれば2100円プラスで、9100円となるので、このラインを超えれば逆に物価高騰まえよりも利益が増えたことになる。

 

むずかしい可能性もあるが、原理上は可能である。

 

 

とはいえ。

コメントにあるように、今の時代に290円でやるというのは、さすがに無謀すぎるとは思うわけで。

 

いちばんの問題は、日本の中央の平均給与が30年前とくらべて100万円くらい減っているという点である。

30年まえは年収400万くらいあった日本人の給与が、今は年収300万とか、それ以下に落ちているらしく、その状況で物価だけ上がり続けているわけだが、それが30年前と比べて3倍とか5倍とかになっているから、そりゃあ生活も厳しくなっていくだろう…って話で。

 

なんでも買えるほど現状でも給料がある人はいいが、少なからず生活が苦しくなっている人がかなりの割合いるという話なので、そういう人たちが経済参加できる状況になれば、経済はまわりはじめ、社会が豊かになる…という仕組み。

考え方としては、れいわ新選組と同じだが。

 

 

問題は、やっぱり「やりすぎ」ってことだな。

1杯290円は無謀。

だが、そのくらいじゃないと生きていけない人がいるらしいという実態をよく目にするので、こういうところが結局は社会で人を救っているのだという実感もある。

 

世の中、ビジネスのことしか頭になく、自分の儲けだけを過剰に追求するようなヤツが多い社会になってしまったが、ここまでやれるのはぶっちゃけ凄いと感じる。少なくとも叩くべき話ではない。

 

ただ、このはかたやという店のラーメンが好きな人で財布に余裕がある人にとっては、潰れてもらっては困るので「値上げしてくれ」となる言い分も分かる。

 

実際に過剰な値下げはよくない。

たとえば、本来はもやし農家とかだってもっと儲かるべきだが、なんか社会のバランスを考えて犠牲になっているように感じる。それは米農家もそうかもしれないが。

そもそものだが、一般人の給料というか、使えるお金が全体的に底上げされれば、もっと買ってもらえるようになるので、作る側が数で儲けられるようになり、そうなるとさらにつくる側が従業員の給料を増やしてやれるので、従業員という名の一般人がさらに給料が増えて、もっと欲しいものを買えるようになれば、さらに売り上げ数が増加し、さらにつくる側の利益が増える…となっていった先で、値上げしていくのはアリだと思うわけだが。要は良いインフレってやつだよね。

まあ、これはれいわ新選組の言っている経済論なわけだが。実際にそういう社会になったほうが、健康的で元気な国民が増え、その分国力も上がるという方向に向かうので、僕もさすがにこのご時世に1杯290円で続けるのはやりすぎと思うが、理論上は正しい価値観で商売をしているというふうには見える。

 

世の中にカネの亡者が大量にいて、今はカネの亡者が経済のルールを作っている側にいるから、どんどん搾取されて社会は貧しくなっていってるが、それを是正すれば、たとえばこのはかたやみたいなことをせずとも、ふつうに誰もが死なないし、豊かに経済がまわる社会になるはずなんだと思うんだけどな。