はじめまして。

 

結婚10年目、アラフォーの男性です。

 

立ち尽くしたままでも、現実は止まってくれません。

 

医師の説明を聞き、妻と家路に向かう車内でも、感情はまだ追いついていませんでした。

 

「わかりました。治療を進める準備ができたらお願いします」

 

そう医師に伝えたのは私です。

 

事実は理解した。正しさも提示された。

 

でも、「本当にできるのだろうか」「これが正しい選択なのだろうか」という問いは、頭の中でくり返し続いていました。

 

不妊治療には、時間の猶予が多くありません。

 

検査の結果を聞くまでに一か月。そこからさらに検査が進み、病院を受診してから治療開始まで、気づけば三か月が経っていました。

 

妻からは、治療を始めたいという思いや、私への気遣いも伝えられました。

 

それでも私は、まだどこかで迷っていました。

 

もう少し様子を見るのか。治療を受けずに妊活を続けるのか。

 

何もしない、という選択もあるのではないかと考えていたのです。

 

どれも間違いではない。

 

でも、どれも簡単には選べない。

 

このとき強く感じたのは、

 

「選ばない」ということも、ひとつの選択だということでした。

 

先延ばしにする。

 

今は判断しないと決める。

 

それらは何もしていないようでいて、実はきちんと“決めている”。

 

でも本当にそれでいいのだろうか、と。

 

帰宅し、自室に戻ったとき、ぽつぽつと涙が出てきました。

 

堪えていたわけではありません。

 

ただ、「妻に対する思い」や「申し訳なさ」、そして「治療をしなかった未来への後悔」など、いくつもの感情が一度にあふれ、受け止めきれなくなったのだと思います。

 

ひとしきり泣いたあと、ようやく、最初に感じた「小さな違和感」の意味が、別の形で戻ってきました。

 

私は、この段階で強い決意をしたわけではありません。

 

「やるぞ」と腹を括った覚えもない。

 

ただ、逃げ続ける自分の姿が、はっきり想像できてしまった。

 

何年か後に、「あのとき、何もしなかったな」と思い返している自分。

 

その姿が、どうしても嫌だった。それだけです。

 

当時の自分は、納得して動いたわけではありません。

 

動いてから、必死に意味を探していた気がします。

 

治療を始めるという選択が正解だったのか、今でも分かりません。

 

別の道があった可能性も、きっとあったと思います。

 

でも一つだけ言えるのは、あのとき選んだからこそ、考えるための材料が増えたということです。

 

何もしなければ、きっと何も増えなかった。

 

揺れたままでも、人は選ぶ。

 

怖いままでも、進む。

 

そして後から、「なぜそうしたのか」を自分なりに組み直していく。

 

その過程を経て、ようやくスタートラインに立てたのだと思います。

 

「それでも選ぶしかない場所」に。