四十年前、大学一年の時に肺の検診で引っ掛かった。
影があり結核の疑いと診断された。二軒の病院に通院したが結核の疑いのままで診断がつかない。当時はCTスキャンがなく、診断が難しかったのだ。

母親の知り合いから、成城にある年配のお爺さん医師を紹介された。緊張してドアを叩いた。中から奥様と、引退して紹介された患者しか診ないという白髪の医師が出迎えてくれた。
さっそくレントゲン写真を診ていただくと、直ぐに 肺結核だとズバリと診断し、一年間内服薬を飲め、とあっという間に診察は終わった。CTがないのに一発診断であった。

老人の医師がレントゲンを見ながら、「薪は何本集まっても薪にしかならない」と呟いているのが未だに忘れられない。
確定診断を自信満々につけたのは、長年の呼吸器部長としての経験からであろう。レントゲンを見れば何十人の医師が見て解らなくても俺なら解るのだ、という意味で薪のことを言ったのである。

旭川から帰省のたびに通院し、一年で四回お世話になり薬を一年間飲んで完治した。保険は利かず再診料二千円、初診三千円だったと記憶している。母親からもらった一万円札を握りしめていた。お釣りは殆どなかった。当時の一万円は今の五万円くらいに相当するか。
私が心配したのは その医師が倒れてクリニックが休診になることであった。とにかく生きていて診察をしていてほしいということだけ。あの先生がいれば肺は大丈夫。いざというときは成城に行けば良いという安心感が旭川にいてあるのである。

参ったのは奥様がこの老医師の若いときの浮気でどれだけ私が大変であったか、毎回愚痴を大学一年の私にこぼすことであった。私は浮気の意味がよく分からないため頷くだけだった。
その五年後に先生はお亡くなりになったことを、駅の改札で奥様と偶然お会いした時に知った。その時も先生の浮気の愚痴を聞かされたことは言うまでもない。
先生、貴方が浮気しようが、貴方は格好よく素敵でしたよ。
ありがとうございました 。