ま、釈迦牟尼の教えだけを仏教と呼ぶのであれば、大乗仏教もチベット密教も偽物という事になってしまうのだが。
それが真理であるのなら仏教でいいのではないかと思う。
真理とは目的達成のための理論と実践があるものである。
すなわち教義と修行体系である。
目的とは何かといえば、カルマからの解放である。
世間では運命とか宿命とか言われているようだが、それはカルマによって決定するために変える事は出来ない。
麻原はこれをカルマの操り人形と呼んだ。
では、どうにもならないのかと言えば、そうではないと答えるのが真理である。
運命は変えられない。
しかし、その土台となっているカルマは変えられる。
つまり、結果ではなく原因を変える。
その理論と実践が真理である。
で、その理論と実践を持つのであれば、原始仏教であっても大乗仏教であってもそれは本物の仏教である。
まもなくオウム事件から30年が経つ。
その被害者たちに対して、本物の仏教は自業自得・因果応報と説く。
なんと冷たいことか。
しかし、それが真理なのだ。
そして、日本には本物の仏教が存在しない事も理解出来るだろう。