そうか、分かったぞ。
強健術は簡単に始められる健康法である。
なんて事を書くと一部から文句を言われそうではあるが。
なぜなら、強健術は健康法ではなく強健法であるからだ。
オウム時代に、麻原からオウム以外の行法を指導してもよいというお達しがあり、信徒相手に強健術を教えていた事があった。
動き自体は誰にでも出来る簡単なものだが、極めるのは至難の業である。
肥田春充の伝説は枚挙にいとまがないが、その中で筋肉の発達が現代トレーニングから見て大きな謎である。
道場の床を足の形に踏み抜いたりとか、竹刀で空き缶を突き抜いたりという、他の誰にも出来ない爆発的な瞬発力を発揮している。
筋トレの常識として、高負荷でなければ筋肉の発達はない。
しかし、強健術は器具を使わないだけでなく、自重さえも使っていない。
肥田春充の動きを見るかぎり、完全に脱力してどこにも力が入っていないように見える。
では、いったい、なぜなのか。
それが分かった。
なるほど、全ては心の働きだ。