立位礼拝は入門の修行なので、そんなに大げさにやるものではないが。
ワシが出家した当時は立位礼拝600時間達成が出家の条件だった。
全財産を布施して遺書まで書いて、600時間の立位礼拝に耐えられなかったら在家に戻されて、全財産は没収されたまま。
今考えても酷い話だ。(笑)
信徒時代にボーディサットヴァの会でダルマヴァジリにそそのかされて土日での体験に参加したのだが、指導にあたったマハーカッサバに食事なし睡眠時間なしで1日20時間の立位礼拝をやらされた。
1日のうちの残りの4時間はビデオ説法だ。
信徒にサマナよりキツイ事やらせてどうすんねん、こいつアホちゃうかと思ったものだ。
成就のお祝いは1日に24時間の立位礼拝だったな~。
てか、外出したらあかんやろ。
この世の全てが苦であるというのはある意味正しくてある意味間違っている。
物質的に幸福であるというのは金さえあれば死ぬまで続ける事は可能であり、死後の世界がないのであれば幸福なまま全てを終える事が出来る。
絶対幸福とは苦しみの中にあってさえ幸福である事を言う。
周りの現象によって変化する相対的な幸福とは次元が違うものである。
絶対幸福にあるのであれば、その魂はたとえ地獄に落ちたとしても幸福である。
どこにいても、何があっても幸福。
なぜなら、現象界はニルヴァーナの中にあるからだ。
これをダンテスダイジは、「おならプーはニルヴァーナだ。」と表現した。
ほんと、修行者の思考パターンは常識外れも甚だしい。
しかし、それが真理というものなのだ。