一般人の感覚 | 法友(とも)へ

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いつも思う事なのだが、今回の動画を見てまたかと思ってしまった。

 

周辺住民の言葉で「れいはいとせっきょうのぎ」というのがあった。

 

どちらもオウム時代には無かったものだ。

 

また、公安調査庁も「麻原の肖像画を拝んでいたり」と言っている。

 

これもまた、オウム時代には無かったものだ。

 

オウムには拝むという行為はないし、麻原の肖像画など見た事がない。

 

もしこれが事実なら、アレフはオウムとは全く別の集団になっているという事になる。

 

 

これだけでなく、いわゆるインフルエンサーもまた、なんだか妙な発信をしている。

 

ひろゆきの動画を見ていたら、信者が麻原と握手をしたら電気が走ったような感覚があったという事だった。

 

で、その説明が、床に電極が仕込んであって云々というものだった。

 

こんなのは元オウムなら有り得ない事がすぐに分かるだろう。

 

麻原は信徒と握手をする事はない。

 

いや、信徒だけでなく、誰とも握手などしない。

 

麻原だけでなく、弟子たちもまた、他人の身体に触れるのを極端に嫌がるのだ。

 

嫌がるだけでなく、教義の中にも行動様式の中にも、どこにも握手というものが無いのだ。

 

 

また、ホリエモンも自動小銃に関して、わざわざ造らなくても買えばいいだけで、オウムはコミュニケーション能力がないと言っていた。

 

これも大きな間違いで、オウムの最も優れた特徴はコミュニケーション能力の高さである。

 

ロシア軍施設で向こうの連中が、自動小銃なんかいくらでも欲しいだけ売ってやるぞ、と言っていたのをオウム側が断っていたのだから。

 

オウムの財力を考えれば、自動小銃千丁ならそれほど難しくはない。

 

まったく、サリンプラントに何億つぎ込んでると思ってるんだという話だ。

 

 

どうして一般人という連中は、たいして努力もせずに学びもせずに、自分勝手な思い込みで発言をするのだろうか。

 

ワシにはよう分からん。