ニュースでウクライナ軍が奪還した街の様子の映像を見た。
兵士の姿を見て助かった事を知った老婆は、「ああ、神様。」と言った後に「どうぞ、この林檎を受け取ってください。」と兵士に差し出していた。
ここだよ、ここ。
修行者が学ぶべきはここなのだよ。
電気もガスも止まり、食料も殆ど残っていない状況でなされる極限の布施。
なんて素晴らしいんだ。
一般人は金持ちでなければ布施は出来ないと考えるだろうけど、事実は全くの逆だ。
貧乏なほど功徳は積みやすい。
なぜなら、功徳の大きさはどこまで限界に近づいたかで決まるからだ。
金持ちであればあれほど、限界に近づく事など到底出来るものではない。
オウム真理教の教義において、働かずに食べていけない人に布施をしてはならないという戒律がある。
これは、功徳がないために苦しい生活をしている者から、さらに残り少ない功徳を奪い取ってしまう事になるからという意味である。
釈迦牟尼もまた、乞食相手に托鉢をするという事を行っている。
その結果、大鍋にわずか数粒の穀物だけが入った粥を、弟子たちとともに分け合ってすすったとされる。
これが、食なき者に食を乞う(じきなきものにじきをこう)であり、限界を超えた布施功徳によりその乞食は天界に生まれ変わる事となった。
これが釈迦牟尼が行った救済である。
ヴァジラヤーナやなあ。
では、餓鬼供養とは何なのか?である。
これは、貪りに心が支配されてしまっている魂に、一瞬だけゆとりを与えその間に真理の法則を説き修行に向かわせる。
そのための方便である。
したがって、真理を説かないのであれば、その魂が修行をしないのであれば、それは単なる悪業となる。
なんて分かりやすいんだ!