「私は誰か?」の答えは簡単で、これは「エゴ」である。
良い面も悪い面もエゴ、善い心も悪い心もエゴ、何もかも全部がエゴである。
麻原はこれをカルマの操り人形と言っており、ラメッシもまた表現は違うが同じ事を言っている。
エゴは解脱出来ない。
エゴが消え去るのが解脱なのだ。
このエゴを構成している要素が五蘊であり、そして、五蘊を生み出しているのが心の作用である。
一般人は心とは何かについて考えることはないと思う。
まあ、大雑把に思考が頭で感情が心、その程度の認識なのだと思う。
ところが修行者はそうは考えない。
最初に意識があり、これは存在であり動きはない。
次が心であり、こちらは意識と違って動きがあり、心の作用を持つ。
心の作用によって生み出されたものが五蘊であり、その五蘊に想念が沸き起こる。
想念の中には、記憶、思考、欲求、感情などがあり、私という認識を持つエゴが生じる。
ここまで理解出来たら話は簡単、エゴを滅するためには心の作用を止滅させればよいという事が理解出来る。
さて、では、生きているとはどういう事か?
である。
これも簡単に答えが見つかるだろう。