死後の世界とは何を考えるのであれば、死とは何かを知っておく必要がある。
死後の世界とは、死の後の世界という意味なのだから、死について知らなければ話にならない。
もっとも、それ以前に生きているとは何かという事になるのではあるが。(笑)
普通に考えれば生の終わりが死であって、生が死よりも先にあるのだから、生が何かを知らずに死を語る事には意味が無い。
まあ、一般人は生きているとは何かについて知っているかどうか以前に、そもそも生きているとは何かついて考える事が無いのだろうと思う。
で、般若心経に何と書かれているのかというと、「不生」である。
つまり、生きていない。生まれてもいない。と書かれているのだ。
修行者にとっては特に驚く事ではないのだが、一般人にとっては衝撃なのではないだろうか。
しかし、ほとんどの人は、この日本一有名で日本一信頼されている仏教経典に「お前は生きてなどいない。」と書かれていることを一生知る事もなく死んでいくのだが。
さらに進んで、生きているとは、何が生きているのだろうか?
これは誰と言い換えたほうが分かりやすいだろう。
この誰とは、当然に私である。
なぜなら、私の存在なくして、他の人や犬や猫が生きている事を認識できないからである。
そして、ここでまた原点に立ち返る事になる。
生きているのが私であるのなら、私とは何か?
私は誰か?
である。