大乗の修行において、六波羅蜜の最終段階において得られる智慧が般若心経に書かれている五蘊皆空であり不生不滅であるが、さすがに三蔵法師が天竺まで取りに行ったとされるほどの素晴らしい内容である。
西遊記では、六波羅蜜とは別の表現を用いて解説している。
それが、戒・定・慧・解脱・解脱知見である。
戒・定・慧とはもちろん、八戒・沙悟浄・悟空であり空を悟る智慧が六波羅蜜においては最後に来ている。
しかし、それで終わりではなく、その後に解脱・解脱知見と続く。
戒・定・慧を実践する者(三蔵法師)は解脱する。
そして、解脱知見を得る。
という事を説明しているのだが、智慧を得たからと言って修行が終わりになるわけではないという事が分かるだろう。
むしろ、五蘊皆空、不生不滅を理解してからが本当の修行の始まりと言ってよい。
このブログでしつこいほどに何度も、最初に理解が必要だと書いているのはそのためである。
解脱とは何かを知らずに解脱する事は不可能だからだ。
で、この五蘊皆空、不生不滅を理解すると今まで疑問だった事の答えが見えてくる。
なぜ世の中はこんなにも不完全で不公平なのか。
正解は一つしかないのに、なぜ人々はこんなにも多くの意見を持つのか。
地球上に誕生した生物の95%以上が絶滅しているのに、なぜ次々と新種が発見され続けているのか。
この生物学上の謎の答えは不生不滅によって氷解する。
進化論にミッシングリンクが存在するのは当然だ。
彼らは突然現れたのだ。
ゴリラは見つからなかったのではない、それまで地球上に存在していなかったのだ。
新種の生物は突然地球上に誕生する。
人類は猿から進化したのではない。
暇を持て余した、神々の遊び。(笑)
悲劇も、喜劇も、全ての物語が。