否定の実践とは皆空、すなわち全てを幻影と見るという事である。
これは麻原が言い出した事などではなく、般若心経にそう書かれている。
大乗の修行とは六波羅蜜の実践であるが、それによって得られるのが般若の智慧、すなわち五蘊皆空であり不生不滅である。
これがなければ大乗仏教とは言えない、したがって日本には仏教は存在しないと言わざるを得ない。
この智慧はそもそも人間に理解できるレベルのものではない。
なぜなら、物質の世界とは次元が違っているからである。
オウム事件がなぜあれほど複雑で一般人だけでなく信者たちにも未だに謎だと言われ続けているのは、麻原が般若の智慧を説き、教義にそれを取り込んだからに他ならない。
常識の中には、初めから答えがないのだ。
で、全ては幻影である。その実践。
これは修行者にとっては特にどうという事はない。
「ああ、そうか。」
で終わる話である。
ところが一般人にとってはそうではない。
一般人が幻影であると認識すると、その人の煩悩が吹き出すのだ。
一般人は必ずこう言う、「幻影だから何をやってもいいんだ。」
修行者は「心の欲するところに従えども矩をこえず」だからなんの問題もなく、修行に対する確信が持てる。
しかし、一般人はそうではない。
だからこの智慧は秘儀とされる。
とか言って、全部書いちゃってるんだけどね。(笑)