エネルギーの知覚については、説明が必要かもしれない。
この能力は生まれつきのものである。
ダルドリーのように、努力すれば誰にでも身に付くという類のものではない。
したがって、どうすればエネルギーが知覚できるのか?という質問には答えようがない。
逆に、ダルドリーならどうすればいいのか?という質問には事細かに答える事が出来る。
ダルドリーが起こらないのは、単に努力の絶対量が足りないだけと考えてほぼ間違いがない。
たまに、努力の方法が間違っているケースもあるが、殆どの場合ただの怠け者というだけの話だ。
精神世界において、このように生まれつき一般人にはない能力を持っている者がかなりの割合で存在する。
オウムでも神仙の会の頃は、霊能者集団・超能力者集団のようなところがあった。
しかし、このような能力はいずれも解脱とは関係がない。
そして、ここでも逆にダルドリーは解脱と直結する能力である。
ダルドリーとは、基礎的な教育を受ける受けないかどころか、狼ではなく人間に育てられるというぐらいの修行の大前提である。
このエネルギーを知覚する能力というものは、それはそれで結構面倒臭い。
時折ではあるが、人間がアホに見えて仕方がない。(笑)
そんな答えが簡単に分かっていることで、何をグダグダ言っているんだという思いである。
まあ、これは考えてみれば当たり前の事である。
たとえ話として、目のない生き物がいてその中に一人だけ目を持って生まれてきた個体がいるようなものである。
その生き物たちが色と言う概念を考え出して、オレンジが何色だろうかと考察する。
青だろうか?赤だろうか?それとも、紫だろうか?と。
その時、目がある生き物にとっては答えは簡単、それはオレンジ色である。
考えるまでもなく、一瞬で答えが出る。
正解はただひとつ。
どうやっても間違えようがない。
このような事が日常生活の中でも起こる。
ああ、またか、と思う。
面倒臭いが、そこは世間の常識に合わせるしか無い。
しかし、修行者に対してなら、ただ一つの正解を即答すれば何も問題はない。