ヨガのすすめ24 | 法友(とも)へ

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右斜め後ろから右前へ、爽やかな風が通り過ぎるように何かが移動していく。

 

今までに感じたことがないエネルギーの流れ。

 

それが沖正弘だった。

 

 

その動きはとても若々しく滑らかで、一切の無駄がない。

 

アスリートのそれとは違う。

 

アスリートというものは、特定の動きばかりをしているためにその動きには必ず偏りがある。

 

だが、沖正弘の動きには偏りがない。

 

人間が本来持っている身体能力を自然に最高度に洗練した、そんな動きだった。

 

 

沖正弘は正面の教壇に上がり、演台の後ろの椅子に腰掛けた。

 

あずき色のジャージの上下を着た50歳ほどの、頭が少し後退したように見えるどこにでもいそうなおっさん。

 

見た目はたしかにその通りなのだが、その姿を見た瞬間、僕は驚愕した。

 

沖正弘のエネルギーは、すでに人のものでは無かったからだ。

 

何だ、これは!?

 

それが何なのかを、上手く言葉で説明が出来ない。

 

透明というには、あまりにも透明すぎる。

 

平安というには、あまりにも平安すぎる。

 

 

人には必ず煩悩があり、その煩悩が人を形作っている。

 

人には必ず汚れがあり、その汚れがまとわり付いてくる。

 

しかし、沖正弘には、そんなものは一切無かった。

 

目の前にいる、しかし、そこにはいない。

 

もし、この世に無限や永遠というものが存在するのなら、沖正弘がまさにそれだった。

 

 

凄い、これがヨガというものなのか。

 

ヨガによって、ここまでの存在に成れるものなのか。

 

もしかしたら、これが解脱というものなのか。

 

凄すぎる。

 

そう思った。