右斜め後ろから右前へ、爽やかな風が通り過ぎるように何かが移動していく。
今までに感じたことがないエネルギーの流れ。
それが沖正弘だった。
その動きはとても若々しく滑らかで、一切の無駄がない。
アスリートのそれとは違う。
アスリートというものは、特定の動きばかりをしているためにその動きには必ず偏りがある。
だが、沖正弘の動きには偏りがない。
人間が本来持っている身体能力を自然に最高度に洗練した、そんな動きだった。
沖正弘は正面の教壇に上がり、演台の後ろの椅子に腰掛けた。
あずき色のジャージの上下を着た50歳ほどの、頭が少し後退したように見えるどこにでもいそうなおっさん。
見た目はたしかにその通りなのだが、その姿を見た瞬間、僕は驚愕した。
沖正弘のエネルギーは、すでに人のものでは無かったからだ。
何だ、これは!?
それが何なのかを、上手く言葉で説明が出来ない。
透明というには、あまりにも透明すぎる。
平安というには、あまりにも平安すぎる。
人には必ず煩悩があり、その煩悩が人を形作っている。
人には必ず汚れがあり、その汚れがまとわり付いてくる。
しかし、沖正弘には、そんなものは一切無かった。
目の前にいる、しかし、そこにはいない。
もし、この世に無限や永遠というものが存在するのなら、沖正弘がまさにそれだった。
凄い、これがヨガというものなのか。
ヨガによって、ここまでの存在に成れるものなのか。
もしかしたら、これが解脱というものなのか。
凄すぎる。
そう思った。