沖ヨガではポーズについて独特の捉え方をしている。
それはポーズは単なる体操ではないという考え方である。
では、沖ヨガではポーズとは一体何なのか?
ということになるが、その答えは動禅である。
座って行う瞑想ではなく、身体を動かして行う瞑想がポーズである。
沖ヨガは一般的なヨガとは違い、ヨーガ根本経典であるヨーガ・スートラの考え方を取り入れている。
これは道場が焼け落ちた後に、沖 正弘がもう一度ヨガというものを捉え直した結果そうなったのではないかと思う。
最終的に瞑想・解脱へと繋がっていく途上の行法としてのポーズであるために、必ずしもポーズの完成にこだわるものではない。
それだけでなく、沖ヨガにはとらわれないという実践がある。
生きる事そのものをヨガにするという実践の中で、何にもとらわれない。
身体の動かし方、話す言葉、心の働きにおいて何にもとらわれない。
まるでタオのようだが、ヨーガであろうとタオであろうと同じ修行なので、これは当然の事である。