当時はまだ、ヨガの事なんて日本人の誰も知らないと言ってもいいほどだった。
そんな日本人の、とはいってもほんの一部だけだったのかもしれないが、興味を引くには十分過ぎる内容の本だった。
木の若枝を使って葉を磨いたり、舌の舌苔を取るなどというのを見たときは、歯ブラシのない時代の日本人はどうしていたのだろう?とか、舌苔なんて考えたことも無かったと思ったものだ。
ダウティは飲み込んだ布を口からではなく肛門から出してしまう強者もいて、オウムのダウティを見たときは、ああ、普通だなと思ったものだ。(笑)
100歳以上の老人も何人か登場していて、高齢化が進む今の日本にとっても非常に興味深いのではないだろうか。
まあ、戸籍がないのであくまでも推定の年齢ということになるが、150歳とか120歳で元気そのもの、50歳ぐらいにしか見えないらしい。
推定150歳という証言をしているのは80歳の老人。
自分が子供の頃、彼は80歳を過ぎていたというところから計算してのものだ。
150歳の老人は筋肉質、120歳の老人はぽっちゃり型。
100歳以上の老人は他にもいたが、それぞれにタイプが違い共通点は見つけられなかった。
そこから沖 正弘はある一つの結論に達する。
長生きするための秘訣は、人によって違っており、自分にあった方法を見つけ出す事である。
この自分と他人は違う、自分は自分であるという考え方は、沖ヨガの基本的な考え方の一つとなる。
自分にとって良い事が他人にとって良いとは限らないし、他人にとって良い事が自分にとって良いとは限らない。
言われてみれば当たり前の事だが、その事に気づく人は少ない。